時任可愛い
ジープは花喃が雨の日に拾ってきた子犬である。
スピッツと柴犬のミックスで、真っ白な顔に愛嬌のある顔立ちをしている。
一家の主の承認を受け、立派な玄奘家の一員となっている。
餌やりと朝の散歩は花喃の担当、小屋掃除は悟浄、夕方の散歩は悟空の担当だ。
散歩のルートは決まっており、途中のコンビニで悟空は必ず肉まんを買い食いしている。
こんな時間の間食は夕飯に障りそうだが、彼の胃袋に限界はないようだった。
散歩には時任が付き合うことも多く、今日も一緒だ。
コンビニの前、肉まんに齧り付く悟空の隣でフランクフルトを齧っている。
その芳醇な香りにジープは鼻を鳴らした。
「ジープも食うか?」
「犬に人間の食いものあげちゃダメなんだって」
「そーなんだ。うまいのにな」
「なー」
食べ物を全て自らの胃の中に収めると、ごみをごみ箱に捨て、二人は歩き出した。
ジープも張り切って二人を先導する。
悟空がメロンパフェを祖父と食べにくる喫茶店、七五三の写真を撮った写真スタジオ、メンチカツを買い食いしている肉屋、祖母の行きつけだったらしいブティック、玄奘一家が大好物な寿司屋、仏花のセンスが良い花屋、祖父も認める和菓子屋。
見慣れた店が立ち並ぶ町内会を進んでいく。全て縄張りだ。そうジープは思っている。
通い慣れた道。いつもの道。
梅雨が明けたばかりの空気は夏の匂いを孕んでいる。
足裏のアスファルトの温度も温い。
もうすぐ夏が来る。ジープにとっては初めての夏だ。
ジープは嬉しくなってぴょんこぴょんこと跳び跳ねた。
「はしゃいでるな、ジープ」
「散歩好きなんだ」
ジープが急に立ち止まった。
二人が訝しく思う間もなく、初めは目眩かと思った揺れが段々と大きくなる。
「地しんだっ!」
頭を抱えてしゃがみこんだ。二人を守るように傍にピタリとジープが身を寄せる。
体感にして数秒。揺れは直ぐに収まった。
ほっと息を吐いた悟空の脳裏に、押し入れの中でパニックを起こして泣いた時任の姿が過る。
「時任、だいじょぶか!?」
「平気平気。ビックリしたな~」
あっけらかんと答えた時任に、悟空は恐る恐る問いかけた。
「……地しんはへーきなのか?」
時任のパニックの原因は、地震によって閉所に閉じ込められたことだと久保田は話した。
であれば、地震そのものもトラウマなのだろうと悟空は考えたのだ。
時任が被害にあったという、ここ十年で最悪の被害を出した直下型の地震は、震源地の都市を破壊し尽くし、死者は数千人を超えるといわれる。
震度7が適用された最初の事例と言われ、数多のビルが倒壊した揺れだ。
それを体験した恐怖は尋常なものではないだろう。
少しの揺れでフラッシュバックしてもおかしくない。
だが、平素の様子そのままの時任は大きな目をぱちぱちと瞬かせた。
「いや、ふつーにこえーけど、これくらいならだいじょーぶだろ」
不自然な態度の悟空に訝しげな視線を送る。
「そうじゃなくて……昔、おし入れでパニックになってたじゃん」
「そうだっけ……その時、くぼちゃんなんて言ってた?」
「地しんの時、とじこめられたからだろうって」
「あ~……」
時任が顔を伏せた。表情を隠すように。
「地しんのことは……覚えてねーから」
直ぐにぱっと顔を上げて歩き出す。慌てて悟空もジープを引っ張って歩き出した。
時任は悟空を振り返ると少し怒ったような表情を浮かべ、
「それより、おれがへいしょきょーふしょーなのバラすなよ!だっせーから」
「言わねーけど、おれ、あん時めっちゃビビったんだからな!」
翌日の時任は普段通りだったため悟空もそれに倣ったのだが、あのように泣かせてしまったことは悟空の心にずっと痼りを残していた。
二年も前の出来事をそれこそ、地震の揺れで直ぐに思い出す程に。
悟空の言葉に時任は、バツが悪そうに顔を逸らす。
「悪かったって。おれもあんななるとは思わなかったんだよ」
これ以上、言及して欲しくない空気を察して悟空は話題を変えた。
「もうすぐ、夏休みだな……」
「そうだな……」
「何する?」
「ゲームめっちゃする」
「それ、いつもじゃん」
「じーちゃんのふろそーじも手伝う」
「それもいつもじゃん」
「花火したりー夏祭り行ったりースイカとーアイスとーかき氷とー流しそーめんとー」
「食いもんじゃん!」
「楽しみだな~夏休み」
「そうだな」
「毎日遊ぼーな」
「あったり前だろ!プールも行こうぜ!あと、海!おれさま、つりしてみてぇ!」
「めっちゃいーじゃん!どっちがいっぱいつれるか勝負しようぜ!」
「いいぜ!ぜってぇ負けねぇかんな!」
まるで先ほどのことなど忘れたように、夏休みの計画について熱く議論を交わす。
引きずらないのが悟空と時任の良いところだった。
夏休みについて話す二人の顔を見ていると、ジープの心もワクワクと躍る。
心のままにぴょんこぴょんこと跳ねる。
夕日が小さな二人と一匹の影を長く長く伸ばした。
しかし、楽しい時間が終わるのはあっという間だ。
「じゃーな、また明日な!」
「おー、またな!」
彼らは銭湯の前で別れ、それぞれの家へと帰って行く。
遠ざかる背中に向かってジープはわんっ!と吠えた。
スピッツと柴犬のミックスで、真っ白な顔に愛嬌のある顔立ちをしている。
一家の主の承認を受け、立派な玄奘家の一員となっている。
餌やりと朝の散歩は花喃の担当、小屋掃除は悟浄、夕方の散歩は悟空の担当だ。
散歩のルートは決まっており、途中のコンビニで悟空は必ず肉まんを買い食いしている。
こんな時間の間食は夕飯に障りそうだが、彼の胃袋に限界はないようだった。
散歩には時任が付き合うことも多く、今日も一緒だ。
コンビニの前、肉まんに齧り付く悟空の隣でフランクフルトを齧っている。
その芳醇な香りにジープは鼻を鳴らした。
「ジープも食うか?」
「犬に人間の食いものあげちゃダメなんだって」
「そーなんだ。うまいのにな」
「なー」
食べ物を全て自らの胃の中に収めると、ごみをごみ箱に捨て、二人は歩き出した。
ジープも張り切って二人を先導する。
悟空がメロンパフェを祖父と食べにくる喫茶店、七五三の写真を撮った写真スタジオ、メンチカツを買い食いしている肉屋、祖母の行きつけだったらしいブティック、玄奘一家が大好物な寿司屋、仏花のセンスが良い花屋、祖父も認める和菓子屋。
見慣れた店が立ち並ぶ町内会を進んでいく。全て縄張りだ。そうジープは思っている。
通い慣れた道。いつもの道。
梅雨が明けたばかりの空気は夏の匂いを孕んでいる。
足裏のアスファルトの温度も温い。
もうすぐ夏が来る。ジープにとっては初めての夏だ。
ジープは嬉しくなってぴょんこぴょんこと跳び跳ねた。
「はしゃいでるな、ジープ」
「散歩好きなんだ」
ジープが急に立ち止まった。
二人が訝しく思う間もなく、初めは目眩かと思った揺れが段々と大きくなる。
「地しんだっ!」
頭を抱えてしゃがみこんだ。二人を守るように傍にピタリとジープが身を寄せる。
体感にして数秒。揺れは直ぐに収まった。
ほっと息を吐いた悟空の脳裏に、押し入れの中でパニックを起こして泣いた時任の姿が過る。
「時任、だいじょぶか!?」
「平気平気。ビックリしたな~」
あっけらかんと答えた時任に、悟空は恐る恐る問いかけた。
「……地しんはへーきなのか?」
時任のパニックの原因は、地震によって閉所に閉じ込められたことだと久保田は話した。
であれば、地震そのものもトラウマなのだろうと悟空は考えたのだ。
時任が被害にあったという、ここ十年で最悪の被害を出した直下型の地震は、震源地の都市を破壊し尽くし、死者は数千人を超えるといわれる。
震度7が適用された最初の事例と言われ、数多のビルが倒壊した揺れだ。
それを体験した恐怖は尋常なものではないだろう。
少しの揺れでフラッシュバックしてもおかしくない。
だが、平素の様子そのままの時任は大きな目をぱちぱちと瞬かせた。
「いや、ふつーにこえーけど、これくらいならだいじょーぶだろ」
不自然な態度の悟空に訝しげな視線を送る。
「そうじゃなくて……昔、おし入れでパニックになってたじゃん」
「そうだっけ……その時、くぼちゃんなんて言ってた?」
「地しんの時、とじこめられたからだろうって」
「あ~……」
時任が顔を伏せた。表情を隠すように。
「地しんのことは……覚えてねーから」
直ぐにぱっと顔を上げて歩き出す。慌てて悟空もジープを引っ張って歩き出した。
時任は悟空を振り返ると少し怒ったような表情を浮かべ、
「それより、おれがへいしょきょーふしょーなのバラすなよ!だっせーから」
「言わねーけど、おれ、あん時めっちゃビビったんだからな!」
翌日の時任は普段通りだったため悟空もそれに倣ったのだが、あのように泣かせてしまったことは悟空の心にずっと痼りを残していた。
二年も前の出来事をそれこそ、地震の揺れで直ぐに思い出す程に。
悟空の言葉に時任は、バツが悪そうに顔を逸らす。
「悪かったって。おれもあんななるとは思わなかったんだよ」
これ以上、言及して欲しくない空気を察して悟空は話題を変えた。
「もうすぐ、夏休みだな……」
「そうだな……」
「何する?」
「ゲームめっちゃする」
「それ、いつもじゃん」
「じーちゃんのふろそーじも手伝う」
「それもいつもじゃん」
「花火したりー夏祭り行ったりースイカとーアイスとーかき氷とー流しそーめんとー」
「食いもんじゃん!」
「楽しみだな~夏休み」
「そうだな」
「毎日遊ぼーな」
「あったり前だろ!プールも行こうぜ!あと、海!おれさま、つりしてみてぇ!」
「めっちゃいーじゃん!どっちがいっぱいつれるか勝負しようぜ!」
「いいぜ!ぜってぇ負けねぇかんな!」
まるで先ほどのことなど忘れたように、夏休みの計画について熱く議論を交わす。
引きずらないのが悟空と時任の良いところだった。
夏休みについて話す二人の顔を見ていると、ジープの心もワクワクと躍る。
心のままにぴょんこぴょんこと跳ねる。
夕日が小さな二人と一匹の影を長く長く伸ばした。
しかし、楽しい時間が終わるのはあっという間だ。
「じゃーな、また明日な!」
「おー、またな!」
彼らは銭湯の前で別れ、それぞれの家へと帰って行く。
遠ざかる背中に向かってジープはわんっ!と吠えた。
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