時任可愛い
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信人にとって、あまりマトモとは言えない職に就いてから疎遠な実家への、母親の葬式以来の帰省だった。
「ノブにぃだ~~!」
向日葵のような満開の笑顔で信人を迎えたのは、よちよち歩きをしていた頃から随分と大きくなった甥っ子だ。
その隣に立つ小柄な影を目にして、さしもの信人も驚愕した。
玄関先で立ち竦み、驚きの言葉を零す。
「甥っ子が増えてる……」
甥っ子は二人の筈だが、もう一人は悟空より四つほど年上で、髪も派手な赤色をしている。
今、悟空と並んで立っているのは悟空と同じくらいの男の子で髪も黒だ。
逃げようとする体を抱き上げ、まじまじと見つめた。
年の頃は悟空とさほど変わらない。
睫毛の長い勝ち気な目が捲簾に良く似ている。
兄嫁は悟空を産んですぐに亡くなっている為、後妻との子ということになる。
お互い家に根を張れない質のためすれ違うことも多く、何年もマトモに顔を会わせた覚えがない兄弟だが、再婚も甥の誕生も自分だけ知らされていないというのは存外ショックだった。
「兄貴も水臭いな……再婚したなら言ってくれりゃいいのに」
「やぁね、隣の子よ」
廊下の奥から顔を覗かせた妹の花喃が呆れたように笑う。
「隣……?」
「去年、越してきたの」
「なるほどな……」
三人目の甥っ子が自分の早とちりであったことを知って、信人は安堵した。
「悪かったな、名前は?」
ぶすっとした顔で、少年は名乗った。
「ときとー」
どうやら抱っこされたことがお気に召さないらしい。
猫か。
「ノブにぃ、ときとーはなせよー!」
子猿のような本物の甥っ子の方は、小さな足でけりけりと信人の脛を攻撃し始めた。
「悪い悪い。悟空も大きくなったな」
「ノブにぃもおっきくなったぜ!」
「ははっ、だといいがな」
時任を下すと、廊下の奥に素早くぴゃっと逃げられる。
警戒されてしまったらしい。
その背中を悟空が追いかけ、そのまま追いかけっこを始めた。
信人のことなどもう忘れたように、二人できゃらきゃらと笑いながら廊下を走り回っている。
古く、広さだけが取柄の家も、幼い子供には格好の遊び場らしい。
「ノブ兄、おかえりなさい」
久しぶりに家に帰ってきた兄に対して、花喃は律儀にそう声を掛けた。
洗濯籠を抱えている。
信人と兄が好きに生きることができるのもこのしっかり者の妹の存在が大きいため、頭が上がらない。
「ああ。親父は?」
「浴槽の掃除をしてたけど。呼んでくる?」
「いい、どうせどやされるだけだ。お袋に線香あげたら直ぐに帰るよ」
「ゆっくりしていけばいいのに」
妹の言葉には答えず、話を逸らすように、遊ぶ甥っ子達に視線をやる。
「悟空と同い年か?」
「ええ。クラスも同じなのよ。毎日一緒に遊んでるわ」
花喃はにこりと微笑むと、二人に優しく声を掛けた。
「二人とも、お外に行きましょ。あんまりうるさくすると天ちゃん先生が起きちゃうわ」
花喃に誘われ、二人はとてとてと大人しく庭まで付いていく。
まるでカルガモの親子だな。
そんな感想を胸に抱き、部屋の入り口から庭先を眺める。
庭に面する和室の障子も雨戸も大きく開け放たれ、さっぱりとした日差しが部屋に満ちている。
吹き込んだ風から金木犀の甘い香りが微かに漂う。
一歩引いて眺めているせいか、窓枠に四角く切り取られた光景は、まるで一枚の絵のようだった。
物干し竿に洗濯物を干す妹と、その周りで無邪気に鬼ごっこをして遊ぶ子供たち。
牧歌的で微笑ましい絵だ。
どこにでもあるありふれたモチーフかもしれないが、信人にとってはルーブルのどんな名画にも勝る。
永遠に変わらずここにあるように思えるし、そうであって欲しいとも思う。
だから尚のこと、長居してはならないという思いを強くした。
「お邪魔しま~す」
信人のセンチメンタルな気分を引き戻したのは、玄関先から呼びかけられた間延びした声だった。
「俺が出るよ」
花喃にそう声を掛けて、玄関に向かうと、戸を開けた。
「どちら様?」
立っていたのは眼鏡をかけた若い男だった。
年は信人と変わらなそうだ。タッパも同じくらいある。
「隣の家の者です。うちの子を迎えに来ました」
うちの子とは時任のことだろう。
しかし時任の親にしては若く、兄弟にしては年が離れすぎている。
いや、気になるのはそんなことではない。
「オタク、堅気の人?」
同じ深みにいる人間は臭いで分かる。確信めいて発した言葉だったが、対峙する男は茫洋とした空気を崩さなかった。
「クリーニング屋です」
「掃除屋……?」
「洗濯する方」
「洗濯する方」
こんな風貌のクリーニング屋がいるのだろうか。俄かには信じ難い。
念のため店を確認しようかとまで考えて、急に疑うことが馬鹿馬鹿しくなった。
去年から信人の家族は彼らと近所付き合いをしているのだ。
彼らを疑うのは、自分の家族の見る目を疑うことに等しい。
「変なことを聞いて悪かったな。俺は悟空の叔父だ」
謝罪するが、特に気にした風もなく、今度は男が脈絡のない言葉を口にした。
「おたく、打つ人?」
「まぁ、それなりには」
「じゃ、今度皆さんで打ちに来てください。うちのクリーニング屋、地下が雀荘なんで」
「は……?」
信人は自分の勘が正しかったことを知る。クリーニング屋の地下に雀荘を構えるなど、発想が堅気ではない。
だが、信人も堅気ではなかった。
ニッと笑いかける。
「賭け禁止なんて野暮なことは言わないよな?」
「勿論」
「久保田さんとっても強いんだから。ノブ兄、身ぐるみ剥がされないようにね」
時任と悟空を伴って庭先から現れた花喃がそう口を挟む。
「花喃さんが参加するなら身ぐるみ剥がされるのは俺の方ですけどね」
久保田の言葉が世辞や誇張ではないことを信人は知っている。
事あるごとに卓を囲む一族の中で、最強は間違いなくこの妹だった。
「ときとー、お暇するよー」
呼びかけられ、時任はいやいやと頭を振った。ぎゅっと悟空の腕を掴む。
「やだ!もっと、ごくーとあそぶ!」
「俺とはもう遊んでくれないの?」
久保田はワザとらしく悲しげな声を出した。
途端にバツの悪そうな顔をして、時任は無言で久保田の足に抱き着いた。
その体を抱き上げて、機嫌を取るように背中をぽんぽんと叩く。
「後でお風呂入りに来よう」
ん、と頷いて、猫の子のように胸元に頬をすり寄せる。
保護者の抱っこはお嫌いではないらしい。
「お邪魔しました」
「またなー!」
「またね、時任君」
久保田の肩越しに小さな手を振り返す時任の姿が門扉の影に消える。
正直、久保田という男は得体が知れなかったが、父親が何も手を打っていないということは危険人物ではないのだろう。可愛い孫の親友に絆されているのでなければだが。
「そういや、あの二人、名字が違うんだな」
「あんまり詮索しちゃ駄目よ」
おっとりとした妹に、肩を竦める。
マトモには生きられないことを悟ってから、足が遠くなっていた実家。
何も変わらないと思っていたが、案外そうでもないようだ。
次の法事に兄が帰ってきたら、兄妹と変わった隣人を交えて卓を囲むのも悪くないと信人は思った。

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