時任可愛い
美柴鴇がその二人を常連だと認識したのは今から半年程前のことだった。
「こんにちは~」
「いらっしゃい」
カランという鐘の涼やかな音と共に扉が開き、のっそりと長身が姿を現す。
概ね、咥え煙草。この酷暑でも長袖。そして眼鏡。
特徴といえばその程度だが、妙に存在感のある男だった。
そしていつも通り彼の足元からひょっこりと小さな影が姿を見せる。
大きな猫目が印象的な、小柄な少年だ。恐らく未就学児だろう。男のスラックスにしがみ付く様にして立っている。
彼らはいつも日曜日のおやつ時に現れる。
夏休みに入ってからは水曜日もだ。
鴇が店先に立つのは学校のない日だったので、以前から水曜日にも訪れている可能性はあった。マスターに確認したことは別段ないが。
彼らは店内の冷気に安心したようにほぅと一息吐いた。
男が美柴に目を向け(いつ見ても細い目だ)口角を上げる。
「今日もマスターのお手伝い、偉いねぇ」
労いの言葉に無言で会釈を返す。
男と美柴のやり取りには興味なさげに、少年は窓際の奥の席に迷いなくとてとてと向かい、ソファによじ登るようにして腰かけた。
男はその向かいに座り、メニューを差し出す。
「時任、どれが食べたい?」
差し出されたメニューを抱え、うんうんと唸るように悩む顔を男は楽しそうに覗き込んでいる。額に浮かぶ汗をハンカチで拭ってやるなど、その様は随分と甲斐甲斐しい。
そんな二人の前に水とおしぼりを並べながら、男が少年を時任と呼ぶ度に、美柴の胸にはいつもの違和感が影を差していた。
親兄弟、肉親なら彼のことを姓では勿論呼ばないだろう。
親戚でもだ。
例え血の繋がりがなくても、家族なら。
だが、男は少年を時任と呼ぶ。
そして美柴も詮索しない。
彼らとの関係は単なる客とウェイターだからだ。
やがて時任が紅葉の様に小さな手で指したメニューに頷き、男は美柴を呼んだ。
注文票を片手に、テーブルの傍に立つ。
「珈琲とプリンアラモード二つ、オレンジジュースも」
おや、と美柴は首を傾げた。
先週までの注文はずっと珈琲とクリームソーダだった。
恐らくブームが去ったのだろう。
時任のマイブームのサイクルは大体二週間のようだった。
久保田も食べるらしいのは予想外だったが。甘党なのだろうか。
注文を書き付け、奥のマスターに伝える。
オレンジジュース、珈琲、プリンアラモードを出来た順に小さな盆で一つずつ運ぶ。
マスターが一杯ずつ丁寧に豆を挽いて淹れる珈琲目当ての常連は多かったが、プリンアラモードの味も中々だ。
プリンはイタリア風味でやや固め。プリンもバニラアイスもマスターのお手製で、フルーツもふんだんに盛られている。
目にも華やかなおやつに時任は目を輝かせ、丸い頬を上気させた。
分かりやすくご機嫌な様子に、表情を動かさないものの、美柴は内心で微笑ましく思う。
マスター自慢の一品が喜ばれるのは美柴にとっても嬉しかった。
時任はにこにこしながら右手にスプーンを握る。
そしてプリンのてっぺんに乗った赤いつやつやのさくらんぼを、男のプリンにそっと並べて乗せた。
この頃は保護者の好物を譲っているものと思い、なんて出来た子だろうと感心していたものだが、それが勘違いであったことはずっと後に知ることになる。
なんせ長じてこの喫茶店を溜まり場とする彼はプリンアラモードをさくらんぼ抜きで注文するようになるのだから。
二人が最初の一口を含んだのを見届けて、美柴は宿題を広げたままの彼の指定席へと向かった。
接客の合間に、涼しい店内で自由に過ごすことをマスターから許されていた。
活気はあれど小さな商店街の喫茶店。
彼らの他に客は居ない。
落ち着いた空気とオルゴールの甘い音、珈琲の香りが空間に満ちる。
時折、男の落ち着いた声が店内にぽつりと転がるが、耳障りなものではなく、全てが調和を保っていた。
スプーンとガラスの器が触れ合う音すらも。
時任の体に対してやや大きいように思えるおやつを二人は時間をかけて完食した。
「ごちそうさま」
勘定を済ませ、満腹からか眠そうに眼を擦り始めた時任を男は抱き上げた。
男の広い胸元に頬をすり寄せ、腕の中で小さく丸まる様はまるで猫の子だ。
カランという音がして、扉の向こうに二人の姿が消える。
「こんにちは~」
「いらっしゃい」
カランという鐘の涼やかな音と共に扉が開き、のっそりと長身が姿を現す。
概ね、咥え煙草。この酷暑でも長袖。そして眼鏡。
特徴といえばその程度だが、妙に存在感のある男だった。
そしていつも通り彼の足元からひょっこりと小さな影が姿を見せる。
大きな猫目が印象的な、小柄な少年だ。恐らく未就学児だろう。男のスラックスにしがみ付く様にして立っている。
彼らはいつも日曜日のおやつ時に現れる。
夏休みに入ってからは水曜日もだ。
鴇が店先に立つのは学校のない日だったので、以前から水曜日にも訪れている可能性はあった。マスターに確認したことは別段ないが。
彼らは店内の冷気に安心したようにほぅと一息吐いた。
男が美柴に目を向け(いつ見ても細い目だ)口角を上げる。
「今日もマスターのお手伝い、偉いねぇ」
労いの言葉に無言で会釈を返す。
男と美柴のやり取りには興味なさげに、少年は窓際の奥の席に迷いなくとてとてと向かい、ソファによじ登るようにして腰かけた。
男はその向かいに座り、メニューを差し出す。
「時任、どれが食べたい?」
差し出されたメニューを抱え、うんうんと唸るように悩む顔を男は楽しそうに覗き込んでいる。額に浮かぶ汗をハンカチで拭ってやるなど、その様は随分と甲斐甲斐しい。
そんな二人の前に水とおしぼりを並べながら、男が少年を時任と呼ぶ度に、美柴の胸にはいつもの違和感が影を差していた。
親兄弟、肉親なら彼のことを姓では勿論呼ばないだろう。
親戚でもだ。
例え血の繋がりがなくても、家族なら。
だが、男は少年を時任と呼ぶ。
そして美柴も詮索しない。
彼らとの関係は単なる客とウェイターだからだ。
やがて時任が紅葉の様に小さな手で指したメニューに頷き、男は美柴を呼んだ。
注文票を片手に、テーブルの傍に立つ。
「珈琲とプリンアラモード二つ、オレンジジュースも」
おや、と美柴は首を傾げた。
先週までの注文はずっと珈琲とクリームソーダだった。
恐らくブームが去ったのだろう。
時任のマイブームのサイクルは大体二週間のようだった。
久保田も食べるらしいのは予想外だったが。甘党なのだろうか。
注文を書き付け、奥のマスターに伝える。
オレンジジュース、珈琲、プリンアラモードを出来た順に小さな盆で一つずつ運ぶ。
マスターが一杯ずつ丁寧に豆を挽いて淹れる珈琲目当ての常連は多かったが、プリンアラモードの味も中々だ。
プリンはイタリア風味でやや固め。プリンもバニラアイスもマスターのお手製で、フルーツもふんだんに盛られている。
目にも華やかなおやつに時任は目を輝かせ、丸い頬を上気させた。
分かりやすくご機嫌な様子に、表情を動かさないものの、美柴は内心で微笑ましく思う。
マスター自慢の一品が喜ばれるのは美柴にとっても嬉しかった。
時任はにこにこしながら右手にスプーンを握る。
そしてプリンのてっぺんに乗った赤いつやつやのさくらんぼを、男のプリンにそっと並べて乗せた。
この頃は保護者の好物を譲っているものと思い、なんて出来た子だろうと感心していたものだが、それが勘違いであったことはずっと後に知ることになる。
なんせ長じてこの喫茶店を溜まり場とする彼はプリンアラモードをさくらんぼ抜きで注文するようになるのだから。
二人が最初の一口を含んだのを見届けて、美柴は宿題を広げたままの彼の指定席へと向かった。
接客の合間に、涼しい店内で自由に過ごすことをマスターから許されていた。
活気はあれど小さな商店街の喫茶店。
彼らの他に客は居ない。
落ち着いた空気とオルゴールの甘い音、珈琲の香りが空間に満ちる。
時折、男の落ち着いた声が店内にぽつりと転がるが、耳障りなものではなく、全てが調和を保っていた。
スプーンとガラスの器が触れ合う音すらも。
時任の体に対してやや大きいように思えるおやつを二人は時間をかけて完食した。
「ごちそうさま」
勘定を済ませ、満腹からか眠そうに眼を擦り始めた時任を男は抱き上げた。
男の広い胸元に頬をすり寄せ、腕の中で小さく丸まる様はまるで猫の子だ。
カランという音がして、扉の向こうに二人の姿が消える。
今はまだ、常連の男の名を美柴鴇は知らない。
この記事にコメントする