時任可愛い
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神や運命を呪うのは徒労だし無意味だ。


 


けど、考えたことがない訳じゃない。


 


人間の手だったら、ただの学生だったら、なんて。


 


久保ちゃんと過ごす日々に不満があるわけじゃない。


 


好きなヤツと毎日一緒に居られる、それ以上なんてある訳が無い。


 


でも。


 


命の取り合いもない、明日が来ることを疑いもしない平凡でありきたりな生活を久保ちゃんとできたら、それはどんなに、



どんなに……


 


「……きとう、時任」
……久保ちゃんの声だ。
ゆさゆさと身体を揺さぶられて思わず身体を丸める。
久保ちゃんが俺を起こすなんて珍しい。
普段は例え十二時間経ってようが俺を好きに寝かせておくのに。
「時任、遅刻するよ?」
何に遅刻?今日バイト行くっつってたっけ?
夜中の四時までゲームしてて眠ぃんだよ。久保ちゃん一人で行けっつーの。
「だから夜中までゲームしない方が良いよって言ったじゃない。ホラ、ガッコに遅れるよ~」
……ガッコ?なんだそりゃ。
「……行かない」
「珍しいね、そんな事言うの。今日、好きな体育あるけど」
「たいいくー?そんなモン好きじゃねぇし」
そもそもたいいくって何。
「執行部だって、今日俺達が巡回の当番っしょ?」
「ヤダ。行かねー」
そもそもしっこうぶって何。聞いた事ねぇよ。
「……・お前もしかして熱ある?」
「……熱あんのはお前の方だろ……」
わっけわっかんねぇことばっか言いやがって。
もぞもぞと毛布の隙間から顔を出して、そして……目が点になった。
眠気も飛んだ。
「何だよ……それコスプレ?」
真っ黒な上下。上着は詰襟で金ぴかの大きなボタン。
確か、学ランとかゆー高校生が着る制服だった筈だ。
漫画の中の高校生が来ているし、道端で着てる人間に擦れ違ったこともある。
でも、俺達には縁のない代物の筈だ。
「いつもと同じ制服っしょ。時任だって毎日着てるじゃない」
「はぁ!?俺一度も着たことねぇよ!高校なんて行ってねーし!」
性質の悪い冗談だと思った俺は久保ちゃんに食って掛かる。
学ランを着た久保ちゃんは俺の剣幕に真顔になると、
「ガッコは一先ず置いておいて……じっくり話し合おうか」
ぽんっと俺の肩に手を置いた。


 


「時任、冗談言ってるワケじゃないよね?」
久保ちゃんがベットの縁に腰掛けて、俺達は向かい合う。
変な上着は脱いで、椅子の上にかけてある。
「冗談なんか言う訳ないだろッ」
「だよねぇ。お前、嘘つけないしね」
さらっと失礼な事を言って久保ちゃんはうーんと顎に手をやった。
悩んでるような素振りだけど、久保ちゃんがやるとあんま真剣に見えねぇ。
「記憶喪失……とか?」
「何も忘れてねぇよ。お前の事、覚えてるじゃん」
つーか現在進行形で記憶喪失なワケだけど、久保ちゃんに会った以降はちゃんと全部覚えてる。
忘れるワケねぇよ。
今の俺の記憶は久保ちゃんとの思い出に等しい。
殆ど全部。
「……久保ちゃんが言ってるガッコってさ、小学校とか中学校とかの学校?」
「そ。俺達は高校生だけどね」
漫画やTVで得た学校そのものについての知識は多少ある。
知れば知るほどそれは自分と関係のない世界だった。
「なら、やっぱ俺が高校生なワケねぇよ。だって俺、戸籍ねぇじゃん」
「日本人なんだから戸籍はあるっしょ」
「右手だってこんなだし……」
いくら久保ちゃんがボケててもコレだけは見間違えねぇだろ。
見覚えのない装甲が付いてる手袋に首を傾げつつ、パサリと剥ぎ捨てる。
脱ぎ捨てて、


心臓が止まるかと思った。


「な……んで……」
当たり前にあった、手袋の下の、手。
人間以外の毛に覆われていない、爪だって尖っていない極々真っ当な人の形をした右手……だった。
「獣の手じゃねぇッ!!?」
初めて目にした人と同じ様の俺の右手。
「俺の知ってるお前の手はずっと人間の手だけど?」
俺がこんだけぶったまげてんのに、久保ちゃんは平然とそんなこと言う。
普通の右手してる俺なんて、エロくないお前ぐらい違和感あんぞ!
久保ちゃんこそ記憶喪失なんじゃねぇの!?
「ちげぇし!!豹みたいな毛で毛むくじゃらで!爪だってすっげー尖ってて!モグリだって人間のじゃねぇって……」
「モグリ?」
「だ、だってお前、拳銃はッ!?」
「そんなの持ってるワケないっしょ。俺達フツーの学生なのに」
ヤクザじゃあるまいしねぇとか呆れた風に言ってっけど、お前ヤクザだったろうが!!
フツーって……俺達の普通は、コンビニ行ったりゲームしたり葛西のおっちゃんと飯食ったり。モグリのとこで危ないバイトしたり、WAのコト調べてる最中にヤクザと命の取り合いしたり、それが普通じゃなかったのか?
呆然としてる俺を久保ちゃんはじっと見つめてくる。
今度はもう少しだけ真剣な表情でまた考え込んで、それからふと微笑んだ。
「時任、俺のことは覚えてるんだよね」
「おう。忘れるワケねぇじゃん」
久保ちゃんを忘れるなんて、絶対にありえねぇ。
俺だけは言い切れる、例え久保ちゃんが信じなくても。
「ありがとう」
久保ちゃんはそう言って、凄く、それだけで顔が赤くなるほど優しい顔をして微笑んだ。
礼言われるような事じゃねぇなんて口の中でもごもご言いながら、赤くなって俯く。
そして、このタイミングでキスも抱き締めることもしない久保ちゃんに、少しばかり違和感を感じた。
し……して欲しいってワケじゃねぇけど!?
「じゃあさ、俺に『お前の記憶』を教えてくれない?さっき目覚める前までの。出来る限り沢山」
現状と情報を整理する為にね、と久保ちゃんにそう言われて俺は覚えてる限り洗い浚い全部話した。
意識を失った状態で久保ちゃんに拾われたこと。
目が覚めたら記憶喪失だったこと。
右手が人間のモノじゃなかったこと。
WAのこと。
おっさんのこと。
モグリのこと。
沙織とか滝さんのこと。
ヤクザと殺し合いしたり、宗教団体に潜入したりしたこと。
バイトしたり、二人でゲームしたりコンビニ行ったりゴロゴロしたりしたこと。
俺と久保ちゃんの今までを、いっぱい。
「壮絶だねぇ……」
全部聞き終えた久保ちゃんは、俺と久保ちゃんの事なのに人事の様にポツリと呟いて、
「……・時任さ、平行宇宙って知ってる?」
と俺に訊ねた。
「は?ナニソレ」
何の脈絡もない単語に呆ける。
「量子物理学の多世界解釈に基づいてるんだけど、素粒子はこの宇宙と平行する他の宇宙との間を行き来していて」
「だ――――ッ!!わかるわけねぇだろ!!もっと分かりやすく言えッ!!」
むかついて怒鳴ると、久保ちゃんがなんか凄く安心した顔をした。
俺が馬鹿で安心だってのか?あ?
「えーっと、簡単に言っちゃうと、パラレルワールドの事」
「パラレル……ワールド?」
TVで見たドラ○もんの映画に出てきたような?
そう思った途端、平行宇宙とやらに妙な親近感が湧く。
「そ。お前や俺とまったく同じ時任や久保田のいる世界。ただし、違った分かれ道を行った俺達がね」
「……・まだ良くわかんね」
「つまり、例えば時任がポッキーとジャガリコ、どっち食べるか迷ったとするでしょ。で、結局ポッキーを選んだとする。すると、パラレルワールドの時任はジャガリコを選んでるってワケ」
……まだ良くわかんねぇけど、ここは俺が選択したものとは違う分かれ道の先。
俺の右手が人間で俺達が普通の高校生やってる世界だってことか?
ということは……
「……久保ちゃんは、俺がそのパラレルワールドに来ちまったって言いたいのか?」
「そ。ま、平行宇宙の理論自体そんなに信憑性があるワケじゃないし、俺だって信じてるワケじゃないけど」
元々SFなんかの作り話で盛んに使われてるモンだしね。
久保ちゃんはのほほんと笑う。
つか、何でお前そんなコト知ってんだよ……
「でも、それで納得するのが一番簡単っしょ?俺は時任の言ってる事、何一つ疑ってないし」
「久保ちゃん……」
「大事なのはお前の記憶がニセモノじゃないと認識した上で、ちゃんと現実を見つめること。ここは、昨日までとは全然違うんだよ」
そうだ。
ここがもし本当にパラレルワールドだったとしても、それが分かった所で何の解決策にもならない。
「……じゃあ久保ちゃんは、久保ちゃんじゃないのか?」
「俺は俺だよ。時任も時任。そうっしょ?」
俺が俺なのは勿論だし、目の前で優しい顔をしてる久保ちゃんだって、久保ちゃん以外にありえない。
「……そうだよな」
こくりと頷いて、そんな俺の頭を久保ちゃんが髪に指を絡めるようにしてくしゃりと撫でた。
ここには何時も通り俺と久保ちゃんしかいなくて、それは何も変わってなくて。
触れる手の優しさに、何もかも放棄しそうになる。
でも泡沫のように浮かぶ沢山の疑問。
どうしてパラレルワールドになんか来ちまったんだろうとか。
戻る方法はあるのかとか。
何で久保ちゃんは俺を抱き締めないんだろうとか。


 


この世界の俺は何処に行っちまったんだろうって、頭の隅でぼんやりと思った。

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