時任可愛い
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始まりは放課後、校舎裏。


 


「……ふぁ」
眠いなぁ。
歩きながら欠伸を一つ。
雨上がりでもないのに、日の当たらない校舎裏は何時でも湿った空気で澱んでいる。
散歩するのにあまりいい環境とはいえない。
こんな所に屯する連中の気が知れないよねぇ。
放課後、俺は執行部の校務の一つである校内巡回に勤しんでいた。
一人だし、散歩も巡回も似たようなものだ。
巡回は二人一組が基本だけど、マイペースでサボり魔な俺は必然的に一人で行動することが多かった。
戦力的には差し支えないし、実力の拮抗しない相方なんて邪魔なだけ。
「第一校舎は異常なーし」
独り言ちて、第二校舎の方に回る。
無駄に敷地が広いのも考え物だ。
執行部の腕章を付けるのも久しぶりだし、この巡回路を回るのも久しぶり。
学校に来たこと自体が久しぶりだからなんだけど。
学生を自称するのが申し訳ないほど出席日数ギリギリにしか登校していない。
高校もエスカレーター式だったから何となく入っただけだし、執行部も何となく。
それなりに楽しい時もあったけど、今一つ物足りない感も否めなかった。
まぁ、生まれてこの方満たされた事なんて無いけど?
心を揺さぶられるようなことも。感情を掻き立てられるようなことも。
好きなものも嫌いなものも。
大切なものも、何も。
校舎裏に差し掛かった辺りで複数人が争うような声が聞こえた。
んー、喧嘩の気配。
元が男子校だったせいか血気盛んな連中が多くて、喧嘩乱闘は日常茶飯事。
だからこそ執行部の存在意義がある。
悪い子はお仕置きしなきゃねぇ。
ひょいと角から覗き込むと、丁度乱闘が始まったトコらしかった。
先ずは遠巻きに観察して状況を把握する。
一人二人三人……九人かな?
わぁお、一対八。
集団リンチ?
たった一人を八人で取り囲んで寄ってたかって殴る蹴るの暴力を加えているようだった。
一人で戦ってる生徒は周りが邪魔なのと激しく動いてるのとで良く見えない。
一人に大勢ってのはどういう理由があっても良くないっしょ。
「ちゅうもーく。執行部だけど」
とりあえず平和的解決を試みようとしてみたけど、興奮してる彼らの耳にはイマイチ聞こえてないみたい。
まぁ、想定内。
仕方ないから一番近くに居たヤツを問答無用で蹴り飛ばした。
それで漸く何人かは俺の存在に気づいて、
「執行部だッ!」
なんて仲間と目配せし合って、俺が一人なのを確認すると殴りかかってきた。
それを御座なりにあしらいながら、一人で戦ってる生徒の方の方に目をやる。
そして、僅かに瞠目した。
リンチじゃない。
黒髪のその子は、八人を向こうに回して互角以上に渡り合っていた。
いや、下手すると圧倒してるかも。
三、四人から次々と繰り出される拳や蹴りを危なげなく避けて、逆に殴り返している。
猫科の動物のような、俊敏な動作。
何より、これだけの人数を相手にしてまるで動じてる様子がなかった。
並の強さじゃない。
こんな子いたかな?
喧嘩っ早い生徒は執行部が把握してる筈なんだけど。
「よけーなことすんな!」
突然の乱入者に気づいて、彼は怒鳴った。
怒鳴るだけでこっちは見ない。
流石にそんな余裕はないようで、休み無く手足を動かしていた。
既に二人ほど沈んで足元に転がっている。
それらに足を取られないように気をつけながら、
「公務執行してるだけだし?」
しれっとそう言い返す。
彼はちっと舌打ちを一つして、それ以上何も言わずに迫り来る拳と足に集中し出した。
苦戦はしてないけど余裕はないって感じ?
頭に血が上った奴らの拳を避けたり足を引っ掛けて転ばせたりして一応戦いながらも、俺の関心はもう完全にその子一人に向いていた。
おー。綺麗な回し蹴り。
雰囲気といい身の熟しといい、見れば見るほど猫に見える。
華奢な痩躯から繰り出される、早くて鋭い拳。
力任せに見えて、確実に急所に攻撃を当てている。
無駄のない攻撃で反撃の余裕を与えることなく相手を戦闘不能にしていた。
可愛い顔に似合わず容赦のない戦い方してるな。
それにしても、加勢みたいな感じになっちゃったけど、喧嘩両成敗が基本だしどうしよっかなぁ。
そう思ってるうちに、彼が最後の一人を気絶させて、この場に立ってるのは二人だけになった。
俺は一人か二人沈めただけだ。殆どが彼の戦果。
所要時間、二十分強。
ホント、強い。
彼と戦うのも面白いかもなぁなんて思いながらとりあえず声を掛けようとした、その時。
肩で大きく息をしながら立っていたその子は地面にがくりと膝を付いた。
胸の辺りを鷲掴んでそのまま蹲ってしまう。
「どーした?」
見たところ外傷はないようだけど。
歩み寄ってそう声を掛けても返事は無く、異様な呼吸音が微かに聞こえる。
ひゅうひゅうという、空気の漏れる音のような。
良く見ると、上手く呼吸が出来てないのか小刻みに震えていた。
明らかに様子がおかしい。
「胸苦しいの?」
面倒だけど保健室に連れてった方がいいのかな?
「……ッせぇ」
応じる掠れた声がして、荒い呼吸のまま彼は上体を起こした。
額には汗が光っている。
揺れる前髪の隙間から初めてその目が俺を見た。 
心臓が軋む。
射抜くような眼差しに、胸を鎖で締め付けられるような痛みを感じて言葉を失った。
ただ真っ直ぐぶつかってくる視線。


揺さぶられた


強い光を湛えた黒い瞳は、すぐにふいっと俺から外された。
立ち竦む俺の前で彼はよろよろと立ち上がると、
「……誰にも……言うんじゃねぇぞ。言ったら殺すかんな……ッ」
自分が死にそうな顔をして一言そう言い残し、俺の前から歩み去っていった。
彼に何か言いたくて、でも何を言いたいのかもわからなくて、逡巡してる内にその姿は校舎の影に消える。
突っ立ったままその背中を見送って、俺は自分の心臓の辺りに手をやった。
……さっきの何だったのかな?
宛ら銃弾で心臓を撃ち抜かれたような衝撃。
そして今も疼くような痛みが胸の中に残っている。
体の中で響いてる甘い余韻は消えそうに無い。
死屍累々の中で一人首を傾げた。


 


……ナニコレ?

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