一仕事終わり、一人一服する久保田探偵。
西館の一階にひっそりと設けられた喫煙所。
どんな事件でも、解決した後は決まって一人でセッタを燻らすのが数少ない久保田探偵の癖です。
静かな、しかし壁の向こうで慌しく動く警察官達の振動が空気を微かに揺らし、紫煙がゆったりと流れていきます。
それを空っぽの心と頭で眺めていると、
――ピッピーロピロピロピロピロピロピロピッピーロピロピロ~♪
ジーンズのポケットに捻じ込んである携帯が甲高い電子音を響かせ、静寂を切り裂きました。
それを手に取って、何とはなしにディスプレイへ目をやります。
非通知。
「もしもし?」
『私だよ、久保田君』
耳へと流れ込んできたのは聞き覚えのある、しかしあまり聞きたくはない渋めの声。
「……真田さん」
先ほど対決し、そして久保田探偵に敗北の末、遁走した筈の怪盗の名前を呼びます。
『また君に負けてしまったようだね』
「はぁ。別に勝負してたつもりはありませんがね」
『相変わらずだな』
その言葉に何か不快な含みを悟り、久保田探偵は眉を顰めました。
『『純金の百手観音像』を巡って戦ったあの日のことは覚えているかね?』
「……忘れもしませんよ」
それは怪盗との何度目かの対決でした。その時、久保田探偵は一瞬の隙を突かれ、その手から時任少年を拘引されてしまったのです。
自身の手から時任少年を失った薄ら寒くなるような体験。
その後無事に取り戻せたとはいえ、愛してやまないものを守れなかった、少しの間とはいえ失った、忘れたくても忘れられない苦い思い出です。
『時任少年が私の手に落ちたことを悟った刹那の君の顔。未だに焼き付いて離れないよ。
恐怖と絶望。それらを糧にして燃え盛る殺意。あれこそが君の本質なのではないかな?
私はアレがもう一度見たい。その為だけに私は盗人活動を続けているようなものだよ』
胸中を虫の様に這いずり回る、嫌な予感。
「……何がいいたいんです?」
『あれは私ではないよ』
あれが何なのか。
久保田探偵の頭脳は一瞬で解答を導き出しましたが、ただそれを信じたくないために、それを怪盗に問います。
「あれ……って?」
『今日、二十面相として君の前に現れたのは私ではない』
嫌な予感。
それが、油断している自分の状況と相俟って、耐え難い焦燥と不安を呼び起こします。
何を見逃した?
『偶然彼と知り合う機会があってね。利害の一致から協力することになった。
今回私がしたことは、予告状を出したこと、そして彼に部下を貸し与え変装のちょっとした技術提供をしたことだけだ。
どうだ、彼の変装も大したものだったろう』
電話越しに怪盗の含み笑いが聞こえ、それが酷く耳障りで。
「……つまりあの予告状は偽物ってこと?」
『そうなるな』
「目的のモノも……違うと?」
二十面相はその問いには答えず、二言だけ探偵の耳朶に残し、ぷつりと通話を切ります。
探偵の耳にはその言葉がいつまでもリフレインし続けました。
「彼は誰だろうね?」
「そして、君の大事な彼は何処にいるのかな?」