「海だなー……」
「そーね」
夏の纏わりつくような熱気も全部海風が攫っていく。
公園の柵に並んで腰掛けて、足をぶらぶら揺らしていた。
足の下は夜の海。暗い水面。
久保ちゃんはじっと海の底を覗き込んでいる。
闇しか見えないのに。
俺は水面に映った月を見ていた。
ゆらゆら揺れながら頼りなくその輪郭を変化させている。
不意に名前を呼ばれた。
「時任」
優しい声音とは裏腹に腕を掴む強い力。
抗う間もなく、久保ちゃんが落ちるのと同時に、落ちた。
派手な水音がして、そして音が消える。
肺から漏れる酸素が耳元ではぜて、その音しかしない。
泡が纏わりつく。
暗い水中から水面を見上げると、ぼんやりとした月が変わらない頼りなさで水面をたゆたっていた。暗い。
月を背に、何かが視界を覆う。
……久保ちゃんだ。
ただでさえ暗い水中で視界だってぼやけてる筈なのに、
目が合った。
視線が絡み合った。
手を伸ばした。
指先がワイシャツに触れて、キツく掴む。
縋るように身を寄せて、目を閉じた。
腰に腕が回される感触がして、しっかりと抱き寄せられた。
酸素が喪われていく。
気が遠退いていく。
落下していく目眩のするような速度。
遠く、なる。
沈んでいく。
このまま、このまま二人で。
二人、だけ、に。
目を開けたら黒い空に白い月がポツンと一つ浮かんでいた。
突き放したように冴え冴えと、たゆたう不確かさなんて関係なさげに。
ふいに、横から伸びてきた手に頬を撫でられた。
視線を向けるとそこにはずぶ濡れで俺の横に座ってる久保ちゃん。
俺も、ずぶ濡れだ。
「起きた?」
って、てめぇが引きずり込んだんだろーが。
無言で抗議して睨む。
久保ちゃんは曖昧に笑って、でも謝ることなく逆にやんわりと俺を責めた。
「駄目じゃない。お前は俺のこと引き上げてくれなきゃ」
久保ちゃんは水の底に何を見てたんだろう。
「……勝手なこと言ってんじゃねぇよ」
俺は体を起こして、久保ちゃんの肩に頭を乗せて寄っ掛かった。
柔らかさのない硬く確かな感触。
「お前を……信じてたからだろ」
沈んでいく身を任せた相手は水じゃなくて久保ちゃん。
お前の欲しいモンは水の底じゃなくて手の中だろ。
「……そっか」
堕ちる方が楽。
沈む方が楽。
それでも足掻いて、浮かんで、酸素を貪る。
水の底じゃ生きていけないから。
身をくるむ海水の温さがどれだけ優しさを内包していようとも。