ゆっくりと離れていくそれを呆然と眺める。
見慣れた顔の中で厚めの唇がヤケに目に付いた。
「何……して……」
頭が上手く回らない。無意識に漏れ出たのはそんな言葉。
「何って?言わなきゃ分かんないほど子供じゃないでしょ?」
久保ちゃんは笑った。
割とシニカルな奴だけど、俺にこんな皮肉っぽい言葉を向けることはあんまり……殆ど、無かったのに。
責めるような眼差しを向けられていることが釈然としない。
だって被害者は俺の方じゃん。
学校の屋上で、いきなり、
……キスされたのは、俺の方。
「なん、で」
「我慢の限界だったから。人間って死を回避するよう本能に組み込まれてるじゃない」
俺だって死にたくないし、と久保ちゃん肩を竦めた。
意味わかんねぇ。
意味わかんねぇよ、と吐き捨てる。
「どう言えば分かるかなぁ。例えばさ、砂漠でオアシスが目の前にあるのに、足枷嵌められてて水が飲めない人、みたいな。勿論、水が飲めないままなら渇いて死ぬ」
屋上の柵に背中を預けて、久保ちゃんはぼやくように言葉を続けた。
「酷いよねぇ。こんだけ渇いてるのに、目の前にあるのに、飲めない。オアシスが許してくれさえすれば足枷なんて無くなるのに」
だってそんなん例え話だろ?
久保ちゃんは遠回しに俺を責め続けてたけど、なんで、なのかやっぱり分からない。
語られる言葉は殺伐と渇いていて、愛とか、恋とか、そういう甘い言葉は出て来なくて、余計に混乱した。
唇はまだジンジンと熱を帯びている。
「でもさ、そんな極限状態でいきなり大量の水が与えられたら節度なんて考えられないまま飲んで飲んで内臓壊れるまで飲んで死んじゃうだろうなぁ」
久保ちゃんは自分の唇をなぞった。
「結局、どっちにしても死んじゃうね」
「どんな死に方を俺にして欲しいかお前が選んでよ」
それは告白なんて生温いモンじゃなくて、ただの脅迫だった。
何勝手なこと言ってんだよ。
目の前の飄々とした男を睨み付ける。
「嫌だ。どっちも。久保ちゃんが死ぬのは」
お前が生きる為なら何だってするのに、俺は。
それを聞いて、久保ちゃんは。
やっと何時もの柔らかい、優しい笑い方をして、言った。
「お前が一緒に死んでくれるならそれが一番だけどね」