時任可愛い
「仕事……ねぇ」
久保田は小首を傾げた。
「絢炎で落ち合うんじゃなかったっけ」
「そっちとは別件」
絢炎という名に時任は聞き覚えがあった。今朝久保田が口にしていた、この旅の目的地だ。
「絢炎には桂木がいるぜ。奴さんの調査をしながら首をながーくしてお前を待ってる」
「相変わらず尻に敷かれてるんだ」
「まぁな」
相浦は照れた様に頭を掻いた。
「桂木ちゃんを置いてわざわざ来るってことは、それなりの話って訳か」
「話が早くて助かるぜ」
相浦は手招きし同道を求める。往来で話せる様な内容ではない。久保田は首肯し、近傍の屋台を指した。
「西瓜買ってからね」
久保田と、西瓜を小脇に抱え昼餉の盛られた皿を片手に持った時任は相浦の旅寓に請待された。通された房室の床に引敷物を広げ昼餐を並べて、腰を下ろす。時任は久保田の左隣に。相浦は二人の向かいに。
旅荷から取り出した皿に料理を取分け手渡すと、時任は夢中で頬張り始める。久保田は短剣で西瓜を切り分けるとその面前に置いた。主人である筈の久保田が進んで世話を焼く様を呆れた様に相浦は眺める。
「相浦もどーぞ」
「お、悪いな」
皿を受取ると、時任に恨みがましい目で見られ相浦はたじろいだ。食糧は元々二人分として購入していた為、時任にとっては取分が減り物足りない昼餐となったが、三等分したとはいえそれでも並より多い位だ。痩躯に似合わぬ大食を久保田は只微笑ましく見ている様だった。
「さっき小腹が空いて買ったんだけど」
相浦は己の旅荷から干し果物を取出して時任の眼前に並べる。手を止め、時任は当惑した様に久保田と相浦の顔を交互に見た。
「遠慮せず食っていいぜ」
相浦は安心させる様にそう言ったが、奴隷である時任に対する相浦の態度が平民に対するそれと何ら変わらぬことに疑義を抱き、時任は己が取るべき態度を決め倦ねていた。その様を注視し、遭逢して間もない頃は己に対してもそうであったことを久保田は追思する。そしてその後、己に懐いた様に相浦に懐くことを考えると気疎く憶え、大人気なく釘を刺した。
「餌付け禁止」
「犬猫みたいに言うなよ」
むくれる時任の口の端に付いた米粒を摘み口に運ぶ。指を舐め、久保田は相浦に目線を移した。
「で、誰を殺せばいいわけ?」
「相変わらずだな」
直截的な物言いに相浦は苦笑を零し、久保田に合わせ単刀直入に本題を口にした。
「『夜の盗賊団』がこの町に居る」
「大物だね」
「ああ。久々の特級だ」
淡々とした久保田とは対照的に勢い込んで前のめりになり乍ら、相浦は熱っぽく弁を振るう。
「確か賞金出てなかったでしょ。国も怖がっちゃって」
「それが出たんだよ。轢氏が出した。額も大分奮発してる。こりゃ本気だな。この時期に夜の盗賊団みてぇなのに一仕事されちゃ困るんだろうが……それが吉と出るか凶と出るかはお前次第だな」
「何か訳有りみたいね」
「近く国王の代替わりがあるらしい」
「へぇ」
正直な所、久保田にとっては気乗りがしない話だった。標的の規模が大きければその分、仕留めるのに障礙も多く手間も掛かり面倒この上ない。長期化する可能性も高くなる。
西瓜を食齧る時任に一瞥をくれる。差向き所持する路銀でも絢炎まで旅するのに支障はない。だが節倹は免れ得ぬ。黯然たる窖しか知らぬ時任が、この先の旅路にて何に心奪われ何を強請るか皆目見当が付かぬ以上、甘やかす為にも路銀は潤沢な程良かった。
久保田は溜息を吐いた。
「まぁ、賞金が出るならやるけど。夜の盗賊団って規模はどの程度だっけ?」
「正確な人数は分からなかったが、百は居るな。東夏陵を壊滅させた位だ、火力も腕っぷしも相当のもんだろうし、頭目も相当切れ者だ。正面切って戦えばまず勝ち目はないだろうな。でも、夜陰に乗じた奇襲なら何人居ようと久保田の敵じゃないだろ?」
相浦はにやりと笑った。
「な、千人殺し」
「千人殺し……?」
西瓜を食み乍ら二人の会話を黙然と聞いていた時任は顔を上げ、聞き慣れぬ剣呑な名前を鸚鵡返しに口にする。
「その呼び方しないで欲しいなぁ。恥ずかしいから」
「久保田に羞恥心があったとは驚きだな」
二つ名で呼ばれた久保田は辟易した様に眉を顰めたが、交誼を結んで長い相浦は気にした風もない。
「久保ちゃん」
時任は久保田の顔を見詰めた。久保田は薄く笑む。
「千人殺したから、千人殺し。そのまんま」
「こう見えても強ぇんだぜ! 久保田は」
「強いのは、知ってる」
だが、具体的に数値化されたその千人という値は途方も無い数字だ。
「千人以上殺した俺は嫌い?」
「嫌いじゃない」
即答した時任を久保田も見詰める。眼界にお互いしか居らぬかの如く振舞う二人に、相浦は咳払いをした。
「……とにかく、塒は特定してる。後は上手く潜り込む方法を考えねぇとな」
「まぁ、難しいだろうねぇ」
漸く時任から視線を外し、相浦が広げた輿図を覗き込んだ。空になった皿を置き、烟草に火を付ける。
「賞金首になったことはもう知ってるだろうしな。鼠一匹入り込む隙間もねぇだろうが……頭目と部下の分断さえできればやりようはあるんだけどな。指揮系統は頭目一人に集約されているし」
「それが難しいんでしょ、分断なんて内部からやらないとできないし。噂通りの団結力なら買収もできないだろうしねぇ」
「そーなんだよなぁ……張り付いて隙伺うしかないか……」
沈思する久保田と相浦の耳に、唐突に時任の一言が飛び込んだ。
「俺がやる。潜り込んで、その盗賊の頭を一人にすりゃいいんだろ」
濡らした手巾で手を拭いながら、事も無げにそう確言する。だが、久保田は即座に不許可の言葉を発した。
「駄目」
「何で! 勝算はあるッ!」
食って掛かる時任に、久保田は膠も無い。
「危ないでしょ。理由はそれだけ。それで十分」
「下手に手を出す真似はしねぇよ。そこまで馬鹿じゃねぇ」
「接触するだけで十分危険でしょ。相手分かってる? 声掛けただけで殺される可能性だってあるんだ」
言募る唇に指を当て、薄いそれをゆっくりとなぞるとそのまま白い首筋に滑らせる。武骨な鈍色の首輪の下に指を潜り込ませ、気管、頸動脈、急所を順に中指と人差し指を這わせた。命を愛撫するかの如く。
相浦は我知らず目を逸らした。
「これは俺の仕事。お前には関係ないから」
久保田は明確に時任を突き放した。初めての拒絶に怯んだ様に目を瞬かせ、時任は唇を噛んだが、それでも引き下がる事無く久保田の左手を取ると両手で握った。
「俺、久保ちゃんの、何」
硝子の奥、眸子の中、凍土の如く頑強な情意を、それを凌駕する熱情で溶融させるかの様に見詰める。
「奴隷じゃねぇんだろ、じゃあ何なの」
久保田は答えない、否、答えられなかった。関係性に重きを置かぬ久保田にとって、己にとって時任が何なのか料簡する事もなく、望む関係もまたなかったが故に。
「俺、久保ちゃんの……相方になりたい。手伝わせろよ」
二人は暫時、言葉なく見詰め合った。
この時が初めてであった。時任が久保田の意思ではなく己が意志を通そうとし、真の意味で奴隷として振舞わなかったのは。
久保田は深く嘆息した。折れたのは久保田の方であった。
「殺されない?」
「殺されない」
「絶対?」
「絶対」
握られた左手に力を籠め、久保田は痛い程に握り返した。
「じゃあ……頼んだ」
「うしッ!」
時任は笑顔を輝かせた。屈託のない幼い笑顔、そんなもの一つで胸に垂下する鬼胎が減軽される己を久保田は自嘲する。
その後、時間を掛けて盗賊団が訪れる場所、塒となる幕屋の位置関係、久保田が夜襲を開始する時間等、細かく認識を合わせた。
「気を付けてよ」
「久保ちゃんこそ」
「何かあったらいつでも逃げていいから」
「塒の傍に森がある。やばくなったらそこへ逃げ込め」
「大丈夫だって」
時任は二人の憂慮を破顔一笑、一蹴した。
「朝までには迎えに行く」
「ん。……待ってる」
久保田が時任の意志を優先させたのは、彼の事を大切にしているが故だ。旅中も極力彼の冀求を聞き、それを優先し叶えてきた。それが大切にするという事だと久保田は思為していた。だが、何故それ程までに大切にするのか省察することはなかった。
時任は状況に応じて決めると言い、目的を遂げる為の具体的な手立てについて終ぞ口にしなかったが、そのことに久保田が思い至らなかった筈はない。了得した上で久保田が見誤っただけだ。己の執着の度合いと執心の種類を。
久保田が慮るべきは時任の命だけではなかったのに。
時任はあの短剣を宿に置いて、出て行った。
久保田は小首を傾げた。
「絢炎で落ち合うんじゃなかったっけ」
「そっちとは別件」
絢炎という名に時任は聞き覚えがあった。今朝久保田が口にしていた、この旅の目的地だ。
「絢炎には桂木がいるぜ。奴さんの調査をしながら首をながーくしてお前を待ってる」
「相変わらず尻に敷かれてるんだ」
「まぁな」
相浦は照れた様に頭を掻いた。
「桂木ちゃんを置いてわざわざ来るってことは、それなりの話って訳か」
「話が早くて助かるぜ」
相浦は手招きし同道を求める。往来で話せる様な内容ではない。久保田は首肯し、近傍の屋台を指した。
「西瓜買ってからね」
久保田と、西瓜を小脇に抱え昼餉の盛られた皿を片手に持った時任は相浦の旅寓に請待された。通された房室の床に引敷物を広げ昼餐を並べて、腰を下ろす。時任は久保田の左隣に。相浦は二人の向かいに。
旅荷から取り出した皿に料理を取分け手渡すと、時任は夢中で頬張り始める。久保田は短剣で西瓜を切り分けるとその面前に置いた。主人である筈の久保田が進んで世話を焼く様を呆れた様に相浦は眺める。
「相浦もどーぞ」
「お、悪いな」
皿を受取ると、時任に恨みがましい目で見られ相浦はたじろいだ。食糧は元々二人分として購入していた為、時任にとっては取分が減り物足りない昼餐となったが、三等分したとはいえそれでも並より多い位だ。痩躯に似合わぬ大食を久保田は只微笑ましく見ている様だった。
「さっき小腹が空いて買ったんだけど」
相浦は己の旅荷から干し果物を取出して時任の眼前に並べる。手を止め、時任は当惑した様に久保田と相浦の顔を交互に見た。
「遠慮せず食っていいぜ」
相浦は安心させる様にそう言ったが、奴隷である時任に対する相浦の態度が平民に対するそれと何ら変わらぬことに疑義を抱き、時任は己が取るべき態度を決め倦ねていた。その様を注視し、遭逢して間もない頃は己に対してもそうであったことを久保田は追思する。そしてその後、己に懐いた様に相浦に懐くことを考えると気疎く憶え、大人気なく釘を刺した。
「餌付け禁止」
「犬猫みたいに言うなよ」
むくれる時任の口の端に付いた米粒を摘み口に運ぶ。指を舐め、久保田は相浦に目線を移した。
「で、誰を殺せばいいわけ?」
「相変わらずだな」
直截的な物言いに相浦は苦笑を零し、久保田に合わせ単刀直入に本題を口にした。
「『夜の盗賊団』がこの町に居る」
「大物だね」
「ああ。久々の特級だ」
淡々とした久保田とは対照的に勢い込んで前のめりになり乍ら、相浦は熱っぽく弁を振るう。
「確か賞金出てなかったでしょ。国も怖がっちゃって」
「それが出たんだよ。轢氏が出した。額も大分奮発してる。こりゃ本気だな。この時期に夜の盗賊団みてぇなのに一仕事されちゃ困るんだろうが……それが吉と出るか凶と出るかはお前次第だな」
「何か訳有りみたいね」
「近く国王の代替わりがあるらしい」
「へぇ」
正直な所、久保田にとっては気乗りがしない話だった。標的の規模が大きければその分、仕留めるのに障礙も多く手間も掛かり面倒この上ない。長期化する可能性も高くなる。
西瓜を食齧る時任に一瞥をくれる。差向き所持する路銀でも絢炎まで旅するのに支障はない。だが節倹は免れ得ぬ。黯然たる窖しか知らぬ時任が、この先の旅路にて何に心奪われ何を強請るか皆目見当が付かぬ以上、甘やかす為にも路銀は潤沢な程良かった。
久保田は溜息を吐いた。
「まぁ、賞金が出るならやるけど。夜の盗賊団って規模はどの程度だっけ?」
「正確な人数は分からなかったが、百は居るな。東夏陵を壊滅させた位だ、火力も腕っぷしも相当のもんだろうし、頭目も相当切れ者だ。正面切って戦えばまず勝ち目はないだろうな。でも、夜陰に乗じた奇襲なら何人居ようと久保田の敵じゃないだろ?」
相浦はにやりと笑った。
「な、千人殺し」
「千人殺し……?」
西瓜を食み乍ら二人の会話を黙然と聞いていた時任は顔を上げ、聞き慣れぬ剣呑な名前を鸚鵡返しに口にする。
「その呼び方しないで欲しいなぁ。恥ずかしいから」
「久保田に羞恥心があったとは驚きだな」
二つ名で呼ばれた久保田は辟易した様に眉を顰めたが、交誼を結んで長い相浦は気にした風もない。
「久保ちゃん」
時任は久保田の顔を見詰めた。久保田は薄く笑む。
「千人殺したから、千人殺し。そのまんま」
「こう見えても強ぇんだぜ! 久保田は」
「強いのは、知ってる」
だが、具体的に数値化されたその千人という値は途方も無い数字だ。
「千人以上殺した俺は嫌い?」
「嫌いじゃない」
即答した時任を久保田も見詰める。眼界にお互いしか居らぬかの如く振舞う二人に、相浦は咳払いをした。
「……とにかく、塒は特定してる。後は上手く潜り込む方法を考えねぇとな」
「まぁ、難しいだろうねぇ」
漸く時任から視線を外し、相浦が広げた輿図を覗き込んだ。空になった皿を置き、烟草に火を付ける。
「賞金首になったことはもう知ってるだろうしな。鼠一匹入り込む隙間もねぇだろうが……頭目と部下の分断さえできればやりようはあるんだけどな。指揮系統は頭目一人に集約されているし」
「それが難しいんでしょ、分断なんて内部からやらないとできないし。噂通りの団結力なら買収もできないだろうしねぇ」
「そーなんだよなぁ……張り付いて隙伺うしかないか……」
沈思する久保田と相浦の耳に、唐突に時任の一言が飛び込んだ。
「俺がやる。潜り込んで、その盗賊の頭を一人にすりゃいいんだろ」
濡らした手巾で手を拭いながら、事も無げにそう確言する。だが、久保田は即座に不許可の言葉を発した。
「駄目」
「何で! 勝算はあるッ!」
食って掛かる時任に、久保田は膠も無い。
「危ないでしょ。理由はそれだけ。それで十分」
「下手に手を出す真似はしねぇよ。そこまで馬鹿じゃねぇ」
「接触するだけで十分危険でしょ。相手分かってる? 声掛けただけで殺される可能性だってあるんだ」
言募る唇に指を当て、薄いそれをゆっくりとなぞるとそのまま白い首筋に滑らせる。武骨な鈍色の首輪の下に指を潜り込ませ、気管、頸動脈、急所を順に中指と人差し指を這わせた。命を愛撫するかの如く。
相浦は我知らず目を逸らした。
「これは俺の仕事。お前には関係ないから」
久保田は明確に時任を突き放した。初めての拒絶に怯んだ様に目を瞬かせ、時任は唇を噛んだが、それでも引き下がる事無く久保田の左手を取ると両手で握った。
「俺、久保ちゃんの、何」
硝子の奥、眸子の中、凍土の如く頑強な情意を、それを凌駕する熱情で溶融させるかの様に見詰める。
「奴隷じゃねぇんだろ、じゃあ何なの」
久保田は答えない、否、答えられなかった。関係性に重きを置かぬ久保田にとって、己にとって時任が何なのか料簡する事もなく、望む関係もまたなかったが故に。
「俺、久保ちゃんの……相方になりたい。手伝わせろよ」
二人は暫時、言葉なく見詰め合った。
この時が初めてであった。時任が久保田の意思ではなく己が意志を通そうとし、真の意味で奴隷として振舞わなかったのは。
久保田は深く嘆息した。折れたのは久保田の方であった。
「殺されない?」
「殺されない」
「絶対?」
「絶対」
握られた左手に力を籠め、久保田は痛い程に握り返した。
「じゃあ……頼んだ」
「うしッ!」
時任は笑顔を輝かせた。屈託のない幼い笑顔、そんなもの一つで胸に垂下する鬼胎が減軽される己を久保田は自嘲する。
その後、時間を掛けて盗賊団が訪れる場所、塒となる幕屋の位置関係、久保田が夜襲を開始する時間等、細かく認識を合わせた。
「気を付けてよ」
「久保ちゃんこそ」
「何かあったらいつでも逃げていいから」
「塒の傍に森がある。やばくなったらそこへ逃げ込め」
「大丈夫だって」
時任は二人の憂慮を破顔一笑、一蹴した。
「朝までには迎えに行く」
「ん。……待ってる」
久保田が時任の意志を優先させたのは、彼の事を大切にしているが故だ。旅中も極力彼の冀求を聞き、それを優先し叶えてきた。それが大切にするという事だと久保田は思為していた。だが、何故それ程までに大切にするのか省察することはなかった。
時任は状況に応じて決めると言い、目的を遂げる為の具体的な手立てについて終ぞ口にしなかったが、そのことに久保田が思い至らなかった筈はない。了得した上で久保田が見誤っただけだ。己の執着の度合いと執心の種類を。
久保田が慮るべきは時任の命だけではなかったのに。
時任はあの短剣を宿に置いて、出て行った。
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