時任可愛い
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「海だなー……」
「そーね」
夏の纏わりつくような熱気も全部海風が攫っていく。
公園の柵に並んで腰掛けて、足をぶらぶら揺らしていた。
足の下は夜の海。暗い水面。
久保ちゃんはじっと海の底を覗き込んでいる。
闇しか見えないのに。
俺は水面に映った月を見ていた。
ゆらゆら揺れながら頼りなくその輪郭を変化させている。
不意に名前を呼ばれた。
「時任」
優しい声音とは裏腹に腕を掴む強い力。
抗う間もなく、久保ちゃんが落ちるのと同時に、落ちた。
派手な水音がして、そして音が消える。
肺から漏れる酸素が耳元ではぜて、その音しかしない。
泡が纏わりつく。
暗い水中から水面を見上げると、ぼんやりとした月が変わらない頼りなさで水面をたゆたっていた。暗い。
月を背に、何かが視界を覆う。
……久保ちゃんだ。
ただでさえ暗い水中で視界だってぼやけてる筈なのに、
目が合った。
視線が絡み合った。
手を伸ばした。
指先がワイシャツに触れて、キツく掴む。
縋るように身を寄せて、目を閉じた。
腰に腕が回される感触がして、しっかりと抱き寄せられた。
酸素が喪われていく。
気が遠退いていく。
落下していく目眩のするような速度。


遠く、なる。


沈んでいく。


このまま、このまま二人で。


二人、だけ、に。


 


目を開けたら黒い空に白い月がポツンと一つ浮かんでいた。
突き放したように冴え冴えと、たゆたう不確かさなんて関係なさげに。
ふいに、横から伸びてきた手に頬を撫でられた。
視線を向けるとそこにはずぶ濡れで俺の横に座ってる久保ちゃん。
俺も、ずぶ濡れだ。
「起きた?」
って、てめぇが引きずり込んだんだろーが。
無言で抗議して睨む。
久保ちゃんは曖昧に笑って、でも謝ることなく逆にやんわりと俺を責めた。
「駄目じゃない。お前は俺のこと引き上げてくれなきゃ」
久保ちゃんは水の底に何を見てたんだろう。
「……勝手なこと言ってんじゃねぇよ」
俺は体を起こして、久保ちゃんの肩に頭を乗せて寄っ掛かった。
柔らかさのない硬く確かな感触。
「お前を……信じてたからだろ」
沈んでいく身を任せた相手は水じゃなくて久保ちゃん。
お前の欲しいモンは水の底じゃなくて手の中だろ。
「……そっか」


 


 


堕ちる方が楽。
沈む方が楽。
それでも足掻いて、浮かんで、酸素を貪る。
水の底じゃ生きていけないから。


 


身をくるむ海水の温さがどれだけ優しさを内包していようとも。

拍手[4回]

「あ……ヤッ!」
「時任、太股弱いよね」
「触るなって……んッ」
「だって……ねぇ。こんなミニスカはいて太股露出させちゃって、触れって言ってるようなモンっしょ」
「っつーかこの制服無理矢理着せたの久保ちゃんじゃん!」
「パイロット権限?」
「んなモンあってたまるかぁー!大体!ちゃんと操縦しろっつーの!もう離陸してるんだぞ、雲の上なんだぞ!操縦士が操縦桿から手ぇ離してんじゃねーよ!」
「いーじゃない。相浦がちゃんとやってるんだから」
「……(汗)」
「良くねぇよッ!……んんッ!」
「……うるさいお口は塞いじゃうよ?」
「人前でキスすんなっていっつもいっつもー!」
「……(汗)」
「だいじょーぶ。いないも同然だから……ねぇ?」
「……(汗)」
「じゃ、遠慮なく続きを……」
バンッ
「時任いるー?」
「か、桂木!いー所に!」
「桂木ちゃーん。(邪魔した)代償は高いよ?」
「それどころじゃないの!ファーストクラスの工藤ハルキが時任のことを指名してるのよ」
「はぁ?」
「『俺の傍にいて俺だけに茶を注げ』ですって」
「ファーストクラスにそんな指名制度なんてねぇよバーカ!って伝えておけ!」
「ついでに、俺を敵に回すと怖いよー?とも言っておいてね」
ガチャッ
「久保田さんいるー?」
「パイロットいなきゃやべぇだろ……」
「操縦してないけどね~」
「お前が言うな!」
「で、何?沙織ちゃん」
「VIPルームの真田様が……」
「ファーストクラスじゃなくて!?VIPルームなんてあんのか!」
「全○空の知られざる実態だね~」
「……久保田さんを指名したいって」
……………………プツッ
「ここはホストクラブじゃねぇっつ―――――の!」
マイクON
『ハルキ!エロジジイ!今度妙なコトぬかしてみろ……この飛行機落としてやるかんな!』
『そうそう。俺達は操縦室でラブラブしてるんだから邪魔しないでね~。……殺すよ?』
『く、久保ちゃ……何すッ…ヤッ!』
マイクOFF


 


「……ヤバくないコレ。一般のお客様にも聞こえたんじゃ……」
「……頭痛い。降りるわ私」

拍手[2回]

久保ちゃんが絵を描かなくなった。


 


毎日毎日スケッチブックを広げて、飽きることなく俺をモデルに絵を描き続けていた久保ちゃんがスケッチブックを最後に閉じて、もう一週間以上経つ。


高台にある日当たりの良い場所で山の方を眺めながら、俺をじゃらしたり、膝で昼寝する俺を撫でたり、煙草を吸っていた。


一日中、ずっと。


絵を描かなくなった久保ちゃんは、食べることも止めた。


頬のこけた久保ちゃんを心配して、俺は狩った鳩を久保ちゃんの前に並べた。


人間は鳩なんて食べないって分かってても、何かせずにはいられなかった。


久保ちゃんは凄いねって言って、俺を撫でて微笑んで、それだけだった。


日が暮れると久保ちゃんは宿に戻った。


俺はいつも宿の中には入らない。


俺には俺の塒がある。


久保ちゃんも俺を引きとめたことはない


けど、今日は違った。


久保ちゃんは俺を抱き上げるとコートの内側に隠すように抱えて 、自分の部屋に連れ込んだ。


床の上に下ろされ、戸惑う。


煙草を一本吸って、久保ちゃんは恐らく普段通り湯浴みをしに出て行ってしまう。


取り残された俺は居心地悪く椅子の上に丸まった。


普段通りに見える筈の久保ちゃんに違和感が募って仕方がなくて、何度も自分の毛皮を舐めて気を落ち着かせた。


部屋に戻ってきた久保ちゃんは所在なさ気な俺に目をやって、ふっと笑った。


ベッドに入ると布団を少し捲って俺を手招きする。


「おいで」


少しの逡巡の後、椅子を下りてシーツの上に飛び乗った。


横向きに寝る久保ちゃんの胸に背中をぴたりとくっつけて丸まる。


大きな手がゆっくりと俺の頭を何度も撫でた。


「……おやすみ」


久保ちゃんの匂いがする。


呼吸の度に久保ちゃんの胸が動くのが分かる。


背中に伝わる生きてる音と温もりに、漠然とした不安が解けていくのを感じた。


その日の朝は一層寒く、身が竦むようだった。


どんよりと暗く重い雲が空に立ち込めて雪を予感させた。


久保ちゃんはそんな空模様にもまるで頓着せずに高台のいつもの場所に赴いて、ただ寒いだけのその場所に座り続けた。


まるで何かを待っているみたいだった。


その足元に座り込んだ俺の胸に、また言い様のない不安が襲う。


「にゃあぁ」


「うん。寒いね」


嘘吐け。馬鹿。


日が暮れても久保ちゃんはその場に腰を下ろしたままだった。


ちらりちらりと白い欠片が空から降ってくる。


帰ろうと膝を引っ掻いて何度も鳴く俺を久保ちゃんは抱き上げて、抱え込む様にコートの内側に仕舞い込んだ。


やがて、酷い吹雪になった。


刺す様な冷たさがコートの内側にも伝わる。


何やってるんだよ久保ちゃん!!このままだと死んじまうだろ!!


その時、久保ちゃんの呟く様な声がごうごうと鳴る風の音に混じって、俺の耳にははっきりと届いた。


「鞄に手紙があるから、吹雪が止んだら届けてね。山一つ越えた先の、あの山の麓にある村に一軒だけ青い屋根の家があるから。行けば分かるよ」


いつか聞いたような響きで。


「約束」


ぞくりと身体が震える。


コートの内側から無理やり顔を出して、久保ちゃんを見上げた。


「『時任』でしょ、お前」


一寸先も見えない真っ白な闇の中で、雪塗れの青白い顔が微かに笑った。


「お前の事、俺が分からないと思った?」


打付ける冷気よりも強い衝撃に打ちのめされる。


呆然と固まる俺に構わず、久保ちゃんは言葉を続けた。


「息をするのがずっと辛かった。何食べても味しないし、何見てもつまらない。水の底で溺れてるみたいだった。


何度も死のうとして、その度に約束を思い出して……でも俺の好きなお前なんて……思い出すこともできなかったよ。まして描くなんてねぇ」


それは、分かっていたことだ。


そうなることが分かった上で、俺は『約束』を口にした。


どんな風になっても久保ちゃんに生きて欲しかったから。


だけど、一人残された久保ちゃんのその言葉は鉛の様に重く俺に圧し掛かった。


「お前にまた会えて、嬉しかったよ」


俺だって嬉しかった。


「でも、もう看取りたくないから」


看取らせてごめん。でも、でも。


「約束は果たした……ごめんね?」


なんで謝んの?


「そんな目をしないで、今度こそ……許してよ」


そういって久保ちゃんはゆっくりと目を瞑った。


凍死しかけている人間の力とは思えない強い力でコートの内側に固く抱き込まれる。


駄目だ!!ふざけんな!!!


久保ちゃん!!!!久保ちゃんッ!!!!!


久保ちゃんッ!!!!!


噛んでも、引っ掻いても、どれだけ鳴き叫んでも、久保ちゃんは一言も発せず、その場から動こうとはしなかった。


こんな時なのに全く生きようとしない久保ちゃんが怖くて怖くて仕方なかった。


歯の根が噛み合わない程震えているのは寒いからじゃない。


縋る様に爪を立てて、呼び止める様に鳴いて、吹雪の夜に消えていきそうな心音と体温を必死に追掛けた。


 


一番長い夜だった。


 


吹雪が止んだ頃、久保ちゃんの身体から体温は残らず失われていた。


コートの合せ目から無理やり這い出る。


背を丸めて座り込んだそのままの姿でその身体は雪で殆ど覆われていた。


身体を伸ばして、僅かに覗く頬を舐める。


ただ、冷たかった。


急に足元に穴が空いた気がしてよろける。


どこにも穴なんて空いてなかった。


けど、四肢に力が入らない。


頭がぼんやりとして、現実感がなくって、まるで白昼夢を見ている様だった。


悪い、夢を。


そうやってぼうっと動かない久保ちゃんを見ていたのが、何分だったのか何時間だったのか、俺にも分からない。


やがてのろのろと雪を掻いて鞄を掘り起こすと、頭を突っ込んで中の手紙を口に咥えた。


ゆっくりと歩き出す。


徐々に足が速く動いて、弾かれたようにがむしゃらに走り出した。


温かい久保ちゃんの腕から逃げたあの日のように、必死に。


走って走って走って。


町を駆け抜け、雪の積もる山道を直走る。


雪の冷たさが肉球を刺し、悴む足先の痛い筈だったが何も感じなかった。


心臓が馬鹿みたいに痛いせいだ。


今まで、どんなに嫌われても罵倒されても、一人でも、死にたいなんて思ったことなかったけど、俺、お前死んで、今、死んじまいたいくらい心臓が痛い。


俺、久保ちゃんにこんな思いさせたんだな。


すっげー好きだったのに。


魔女の子孫と差別された人間の俺も、悪魔の使者だと罵倒された黒猫の俺も、その優しい腕で抱きしめてくれた。


お前に出会わないままだったら、俺、独りで強がるばっかで、それだけだった。


絡まり付く悲しみと後悔を引き摺る様に足を動かす。


小さな山の頂を越え、下りも中腹に差し掛かった頃、日暮れの薄い闇の帳が辺りに下りる。


先ず拾ったのは無数の足音。


続いて死臭。


横道から姿を現したのは無数の人間だった。


鍬を担ぎ、一様に黒い服を着て目元以外を布で幾重にも覆った異様な風体だった。
 
嫌な予感に本能が警鐘を鳴らして、咄嗟に隠れようとしたが、黒い体は白い雪に映えて良く目立つ。


目敏く俺を見つけた人間達が昂奮したように何かを捲し立てて、風に乗った言葉の切れ端が耳に届いた。


黒猫。何かを咥えて。悪魔。魔女の手先。黒死病。こいつが。不吉な。黒猫のせいで。村が。逃がすな。


殺せ。


本気の憎悪と殺意に毛が逆立つ。


鍬を持つ手に力が入っているのを見て身体を翻した時、風を切って投げつけられた石が直撃して身体が吹き飛ばされた。


強かに身体を地面に打付ける。


身体の中で骨が砕けた音がした。


血が泡になって口の端からこぼれ出る。


肺と、恐らく他の内臓も、折れた骨で傷つけた。


いってぇ……!


ぎりりと手紙を噛締め、足に力を込めて立ち上がる。


殺意を込めて次々と投げつけられる投石をどうにか避けながら、人が追いかけて来られない獣道をふらふらと駆け降りた。
 
また、黒死病。


知らねぇって言ってんだろ、俺が原因な訳ないって、何回も、あの時も。


俺に悪魔や魔女の力があれば、どんな手使ってもお前を死なせなかった。


呼吸の度に肺が痛んで血に咽そうになる。


息をするのが辛い。


生きながら溺れている様な苦しみだったと言っていた、これは久保ちゃんの苦痛だ。


俺のエゴで久保ちゃんに味あわせた二年間の苦痛。


俺、何の為に生まれて来たのかな。久保ちゃん。


お前に約束を果たさせて、心置きなく死ねるように生まれて来たのかな。


今度こそお前と一緒に生きるためだと思ってた。


俺、お前と居たかっただけなんだよ。


一緒に生きたかった。ずっと。


魔女の子孫に生まれたことも、毛の色が黒く生まれたことも、どうだっていい。


お前と一緒に生きられる俺に生まれなかったことが一番悔しい。


猫でよかった。


人間だったら今きっと、みっともなく泣き喚いていただろうから。


躓いて、無様にすっ転ぶ。


立ち上がる力はもう、ない。


畜生ッ!


動けッ!動け俺の足ッ!!


負けんなッ!


痛みと後悔に負けてここで倒れれば俺は約束すら果たせない。


生きるのがどんなに辛くても久保ちゃんは俺との約束を果たしてくれた。


そんなあいつだから好きになった。


お前との約束も果たせない様じゃ、相方だなんて言えねぇよ。


千切れそうな足で鉛の様な体を引き摺る。


歩みは亀の様だ。


何度も倒れそうになって、漸く俺はその村に辿り着いた。


明け方の静まり返った村を一件一件回って青い屋根の家を探す。


求める家は村の一番奥の、森の入り口にあった。


……ここ……だ……


安堵した途端、急に体から力が抜けて目の前が暗くなる。


……変だな。なんか温かい。


お前の、腕の中みたいだ。


なぁ久保ちゃん、生まれ変わったら俺達、今度こそ……


 


彼女がドアを開けると、家の前に黒猫の死骸が横たわっており、驚いた彼女は小さな悲鳴を上げて一歩後ずさった。


その小さな骸には大小無数の傷があり、黒い毛に乾いた血が絡んで襤褸切れの様な有様だった。


顔を上げれば、白い雪の上に赤い足跡が点々と続いている。


この猫は己の意思で彼女の家に赴き、そして力尽きたようだった。


どうして……


彼女は息を呑み、そして黒猫が咥えている封筒に気づいた。


抜取った封筒には歯が食い込んだ痕があり、血が滲んでいた。


封筒に入っていたのはスケッチブックの切れ端と、折り畳まれた一枚の便箋だった。


黒髪の勝気そうな少年が、彼そっくりな黒猫と一緒に、笑顔でこちらを見上げている絵だった。


片や魔女の子孫。


片や悪魔の使者。


世間で不吉の象徴と忌み嫌われる彼らは、そのスケッチブックの切れ端の中で、ただ幸せそうに笑っていた。
 
これを描いた人間は彼らをとても大切に思っていたのだろう。


線が少し掠れているところがあるのは指先で何度もなぞった為だろうか。


その絵の少年を、彼女は知っていた。


この絵が描けるのがたった一人であることも。


懐かしそうな眼差しでその絵を暫くの間見詰めた後、彼女は同封の便箋を開いて読み始めた。


 


「桂木ちゃんへ


久しぶり。元気にしてるかなぁ。


時任の墓、今も手入れしてくれてるって聞いたよ。有難う。


世話掛け通しで申し訳ないんだけど、最後に二つ、お願い。


同封の絵を、アイツの墓に供えて欲しい。


それは時任が死ぬ間際、俺に押し付けた約束。


俺の好きなアイツを描いて欲しいっていう約束のせいで俺は今まで死ねなかった。


生きたくないのに、生きる意味があるって辛かったよ。かなりね。


二つ目のお願いは、この手紙を届けた黒猫の面倒を見てくれないかな。


生まれ変わっても時任ってば石投げられたりとかしてるから、一人にさせとくのが心配でねぇ。


アイツは町に帰りたいかもしれないし、桂木ちゃんの都合もあるだろうから、できればだけど。


生まれ変わりなんて言って、頭がおかしくなったと思う?


そうかもしれない。


でも、俺を救うのも幸せにするのもアイツ以外にできない芸当っしょ?


約束なんて口にしたあの時の時任の気持ちがずっと理解できなかったけど、今になってやっと分かったよ。


好きな奴に、自分が死んだ後も生きて幸せになって欲しいって思うのは、当然だよねぇ。


こうなって、やっと分かった。


だから、時任をよろしく」


 


紙の上に雫が幾つも幾つも軽い音を立てて零れ、インクを滲ませる。


互いの幸せを願った二人の、そのささやかな願いすら叶わぬ現実に、彼女は一人、嗚咽した。


 


拍手[3回]

「だぁー!また負けた!」
対戦台の向こうからそんな大声がして、ガンッという音と共に筐体が揺れる。
台に当たるのはやめなさいって。
「絶対何か裏ワザ使っただろ!!」
筐体の陰からぴょこんと顔を出したのは大きな猫目を勝気に光らせた男の子。
華奢で背も低いから、グレーのブレザーを着ていなきゃ中学生には見えなかったかもしれない。
「使ってないよー?いつも言ってるじゃない。相手の癖やパターンも読まないと勝てないって。単なる時任の読み負け」
悔しそうに俺を睨む時任に口角を上げる。
「俺の心を読まなきゃ勝てないよ」
「そんなもん読めねぇっつうの……」
ぷぅと膨れたほっぺたをつつく。柔らかい。
ますますむくれる時任にクレーンで取ったチョコを献上するも、王子様のご機嫌は未だ斜めの様だった。
両替機の前のベンチに並んで座る。
「そんなに拗ねなくてもいいじゃない。強くなったって」
騒々しいゲームセンターの中。
会話はきっとお互いにしか聞こえない。
咥えた煙草からふぅと紫煙を吐き出して、チョコを齧る様を横目に見た。
「お兄さんになら勝てると思うよ?」
「……兄ちゃんは、ゲームなんてしねぇよ」
途端にしょんぼりと肩を落とす小さな体。
分かりやすいなぁ。可愛い。
ここ1ヶ月程の付き合いで、俺は時任に兄が居ることも、時任がかなりのブラコンなことも、社会人になって忙しくなった兄に構われない寂しさをちょっとした反抗期で誤魔化していることも、全部知ってる。
「時任」が偽名なことも知ってるけど、知ってることは内緒。
俺がお前にどれだけ興味津々かなんてまだ知らなくて良いよ。潮稔君。
一ヶ月前に今日と同じ筐体で対戦して知り合った中学生。
年の差なんて関係なく意気投合してすっかり仲良くなった俺たちは、毎日の様にこのゲームセンターで一緒に遊んでいる。
一回り以上年下の男の子にこんなに夢中なんて、ヤバいね。俺も。
「今日も、サンキュな。付き合ってくれて」
チョコを食べ終わってご機嫌が直ったのか、いつもの様にお礼を言われる。
「俺が時任と遊びたいだけっていつも言ってるじゃない」
要らないって言ってるのに律儀に礼を言うのはご両親の教育の賜物かな。
どんなに盛り上がっても、夕食前にはちゃんと帰るし。
でも、ネクタイは俺の真似をして弛める様になった。
初めて会った時はあんなにかっちり制服を着てたのにね。
最近覚えた、自分色に染める快感って奴に内心舌舐めずりする。
大事に大事に育てられた温室の花。
もっともっと、汚したい。
「時任は良い子だなぁ」
咥えていた煙草を携帯吸い殻に捻じ込みながらそう言うと、途端に機嫌悪そうに顔を顰めた。
「子供扱いすんな!良い子じゃねぇよ、寄り道してるし、ゲーセン来てるし」
寄り道ごときで悪いことした気になっているのが良い子の何よりの証なんだけど、そんなことを言いたい訳じゃないから敢えて指摘しない。
「子供だよ。したことないでしょ?」
「何を……」
ワザと挑発するように言えば、時任は眉をきりりと上げて俺を睨み、望む通りの反応を返す。
可愛いなぁ。
内緒話をするように耳に唇を寄せて、直接言葉を吹き込むように低く囁いた。
「セックス」
「はぁッ!?」
目を真ん丸にしてがばりと顔を上げた時任は一瞬で顔を真っ赤に染め上げると、口を鯉の様にぱくぱく開閉させる。
時任のそんな様子に構わず、しれっと続けた。
「それじゃあ大人とは言えないなぁ」
俯いて黙りを決め込んだ時任の熟れた耳朶に追い討ちの様に言葉を落としていく。
「……教えてあげようか?」

ゲームみたいに。

簡単だよ?

気持ち良いだけ。

真っ赤な頬を両手でそっと挟んで、顔を上げさせる。
熱い体温が心地良い。
揺れる前髪の隙間から除く瞳には疑心と強固な常識、己を育む温室へのちょっとした反抗心が見てとれる。
時任は頷かないだろう。
賢い子だ。
ミエミエの蜘蛛の巣にきっと気づいている。
それでも子供の肥大した好奇心を刺激され続けて、いつまでその常識の縁に留まっていられるかな?

良い子の時任。
好奇心に殺されて、悪い大人の浅はかな罠に早く飛び込んで来てよ。

拍手[8回]

仄明るい夜に


 


無数の白片が


 


キラキラ キラキラ


 


光ってた


 


 


 


 


 


 


 


Snowdome
 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


「うわーッ!やっぱサムッ」


口ではそう言いながらも、時任は満面の笑みを浮かべて真っ白な駐車場に向かって駆け出した。


ジーパンが濡れるのなんかお構いなしにさくさく新雪を踏みしめて、足跡を付けるのが楽しそう。


昨晩からずっと降り続けた雪は駐車場を一面白く変えてしまっていた。


真夜中の今は雪も止んで、街灯の明かりと月光を反射した雪がキラキラ白く煌いている。


凍る夜気が肌に刺さる。


白く塗り潰された灰色の町。


コンクリートもアスファルトも白々しいほど白く、白く。


穢れを拒むような一面の白。


「久保ちゃーんッ!早く来いよッ!!」


時任の焦れた声ではっと我に返る。


真っ白な中で一人ぶんぶんと手を振って、駐車場にいつまでも出ようとしない俺を呼んでいた。


「はいはい」


返事をして、雪の中に足を踏み出す。


冷たい。


踏みしめる度に靴の下で雪が悲鳴を上げる。


歩み寄ると、時任はしゃがみ込んで一心不乱に足元の雪を掻き集めていた。


隣にしゃがむ。


「何やってんの?」


「雪だるま作るんだよ」


でっけーのをさッ!


そう言ってから、突然手をぴたりと止めて俺を仰ぎ見た。


「どーやって作るんだ?」


子供のような、新雪のような、混じりけのない純粋な瞳が俺を見つめる。


その目が俺は好きで、でも居た堪れなくて、足元の雪に目を伏せて、


「こーやってね」


雪を掬い、固く握って小さな雪玉を作った。


「できた雪玉を雪の上で転がすと、周りに雪がついてどんどん大きくなってくんだよ」


手本を示すと、興味深げにふんふんと頷いて、早速雪玉を作って転がし始める。


「うぉッ!マジででっかくなってくッ!」


こぶし大だった雪玉があっという間にスイカ大になって、時任が駐車場の端から端まで転がすたびに大きくなっていく。


そして、雪が捲れて、その下の黒いアスファルトが剥き出しになる。


虚飾された現実の醜悪な内実。


大きくしようとすればするほど、雪だるまは汚れていく。


穢れを拒んでいたわけじゃない。


内包して隠し持っていただけだ。


短くなった吸殻を灰皿に捩じ込んで、新しい煙草に冷たくなった指先で火を付ける。


有害な煙を凍る空気と一緒に吸い込むと、冷たい外気のほうがニコチンよりも肺を刺激した。


身の内から凍えていく、そんな錯覚。


煙草を吸いながら雪とじゃれる時任を眺めていると、なんだか可笑しくなってきて、ふっと笑みが零れた。


 


凍えるワケない。


 


雪が音を食らって、静か。


雪の降る音も、夜の音すらしなかった。


時任の声しか聞こえない。


「さぼってねーで久保ちゃんも作れよ!」


ちっとも動かない俺に、駐車場の端で怒ったように時任は言った。


その口元から出る呼気が煙草のように白く、闇に漂っては消える。


頑張って転がした雪玉は持ち上げられない程の結構な大きさになっていた。


「俺は頭担当だから小さくていーの」


そう言い訳して、おざなりに雪玉を作って転がした。


素手で雪を触り続けるのは、痛い。


時任は良く平気だなぁなんて思いながら、雪だるまの頭部になる筈の雪玉を作った。


小さな雪玉は比較的直ぐに出来て、日陰になる場所を選んで時任が作った雪玉を据え、その上に俺が作った雪玉を置く。


「これが雪だるまかー。結構デカくできたなッ!」


時任の肩程の高さの雪だるまを見ながら感慨深げにうんうんと頷いて、時任は自分の仕事に満足しているようだった。


「でもなんか泥だらけだなー。折角作ったのに」


アスファルトの汚れで、真っ白い雪で出来ている筈の雪だるまは黒ずんでいた。


「こうやって雪をくっつけてけばさ、綺麗に見えるじゃない?」


傍の白い雪を掬って、表面に押し付けた。


 


また虚飾していく。


何度でも繰り返す。


 


二人でぺたぺたと雪を貼っていって、やがて雪だるまは見た目だけの白さを得た。


綺麗になった雪だるまを見て、それでも何故かまだ不満そうに時任は唸った。


それから何か思いついたのか、だっと走り出す。


そして植え込みで拾ってきたらしい細い枯れ枝を何本か握り締めて戻ってきた。


枯れ枝をぱきぱきと何本かに折ると、まっさらな雪だるまの顔の上に眼鏡のようなものを作る。


俺の煙草まで取り上げて雪だるまの口元に差し込んだ。


顔のなかった雪だるまが、眼鏡をかけて煙草を吸っている。


眼鏡の形が左右不揃いで、何となく間抜けな様だった。


「久保ちゃんダルマ~」


俺に向かってにっと笑った。


いたずらっ子のような笑顔。


そんな笑顔ばかり思い出すから、ずっと笑ってたのかもしれない。


それとも、好きだった笑顔を強く覚えているだけなのかも。


キラキラと綺麗なのは都合よく美化されているのかな。


そっと時任の左手を引き寄せる。


指先が赤く、雪と同じ温度になっていた。


悴んだ指先を唇に当てる。


「冷たい……手袋もしないで雪弄ってるから……」


息を吐いて暖めようとしたけれど、微かに体温を含んだ吐息も直ぐに空気の冷たさに掻き消されてしまった。


時任の指が、俺の指に絡む。


「久保ちゃんの手もそんな変わんねぇよ」


「俺も手袋してないしね」


ぎゅっと握り返して、そのまま二人でなんとなく雪だるまを眺め続けた。


何時の間にか空は雲に覆われたらしく、月光はもう届かない。


光源はマンションの明かりと、街灯だけ。


それだけでも十分に時任の横顔は見えたけど。


どこか遠くを見る表情。


何かを思い出そうとしてるの?


でも、雪だるまの作り方も知らなかったもんね、お前。


花火をした『誰か』と雪だるま作った思い出がなくて、


よかった。


「ね、時任。スノードームって知ってる?」


「知らねー。何それ」


「プラスチックで出来た小さなドームに水と建物と雪に模した粉みたいなのが入っててね。


 振ると下に積もった白い粉が舞って、また静かに積もるんだよ。本物の雪みたいに」


どこで見たのかも定かじゃない。


安っぽい、ちっぽけな飾り物。


水の中で舞う雪がゆっくりとまた落ちていくその速度だけが妙に今も脳の中に残っている。


「へー。キレーなのか?」


「昔見た時は何も思わなかったけど……今みたら、綺麗って思うかも」


今、お前と見たら。きっと。


「ふーん」


キレーだぜきっと!


そう言って笑った顔が冷たく凍る空気よりもまだ俺を刺して、心臓がただ痛くて、気づいたら繋いだ腕を引っ張って抱き寄せていた。


そのまま雪の中に二人で倒れ込む。


「うわッ」


驚いた声を上げる時任を胸に押し付けて、腕の中に閉じ込めた。


仰向けになって見上げた空は暗く、冷たく、世界を覆って閉じ込めている。


この時、確かにこの空間だけは隔絶されていて、フィルムは途切れていて、俺達二人だけだった。


このまま永遠になってしまえばいい、そう願っていた。


叶うはずのない願いを。


どうせ溶け消えてしまうのに。


「……雪……」


時任が小さく呟いた。


暗い空から白い羽のような雪が音もなく舞い落ちてくる。


町を、現実を、白で塗り潰す為に。


雪が頬に触れた。


刺すような冷たさだけを残して、それは一瞬で溶け消える。


後から後から降り続ける雪はこのまま俺達の体も覆い隠してしまうかもしれない。


それもいいと思った。


「このまま……死んじゃえそーだねぇ」


「何だよそれ」


 小さく不満そうな声を時任は上げた。


「凍死ってね、最初は寒いんだけど、段々意識が朦朧としてきて眠るように死ねるんだよ。痛みもなく」


これ以上痛みを負うことなく、終わりにできる。


二人の、まま。


ぎゅっと、時任が俺のワイシャツを握った。


右手が、心臓の辺りを掴む。


頬を押し付けるように摺り寄せて、


 


「死ぬわけねーだろ。こんなにあったけーのに」


 


体温を分け与えようとするかのように、ぴったりと寄り添う。


布越しに伝わる体温は鮮明で、焼け付くような熱は心臓から来ていた。


何度でも時任は俺に熱を与える。


冷たい雪も、ただこの温もりを再確認させるだけだった。


そっと瞼を閉じる。


「……そうだね……温かいね……」


掠れた声でそう返した。


 


温かいよ、お前がいたから。


 


お前がいたから、凍えなかった。


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


大の男二人が雪で遊んだ後も、朝には全て新しい雪に覆われて消えていた。


その数日後には日の光で全て跡形もなく溶け消えていた。


二人で作った雪だるまだけはしぶとく残っていたけど。


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


プラスチックに閉じ込めた


 


小さな世界の


 


ニセモノみたいに綺麗な


 


あの日の記憶

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