仄明るい夜に
無数の白片が
キラキラ キラキラ
光ってた
Snowdome
「うわーッ!やっぱサムッ」
口ではそう言いながらも、時任は満面の笑みを浮かべて真っ白な駐車場に向かって駆け出した。
ジーパンが濡れるのなんかお構いなしにさくさく新雪を踏みしめて、足跡を付けるのが楽しそう。
昨晩からずっと降り続けた雪は駐車場を一面白く変えてしまっていた。
真夜中の今は雪も止んで、街灯の明かりと月光を反射した雪がキラキラ白く煌いている。
凍る夜気が肌に刺さる。
白く塗り潰された灰色の町。
コンクリートもアスファルトも白々しいほど白く、白く。
穢れを拒むような一面の白。
「久保ちゃーんッ!早く来いよッ!!」
時任の焦れた声ではっと我に返る。
真っ白な中で一人ぶんぶんと手を振って、駐車場にいつまでも出ようとしない俺を呼んでいた。
「はいはい」
返事をして、雪の中に足を踏み出す。
冷たい。
踏みしめる度に靴の下で雪が悲鳴を上げる。
歩み寄ると、時任はしゃがみ込んで一心不乱に足元の雪を掻き集めていた。
隣にしゃがむ。
「何やってんの?」
「雪だるま作るんだよ」
でっけーのをさッ!
そう言ってから、突然手をぴたりと止めて俺を仰ぎ見た。
「どーやって作るんだ?」
子供のような、新雪のような、混じりけのない純粋な瞳が俺を見つめる。
その目が俺は好きで、でも居た堪れなくて、足元の雪に目を伏せて、
「こーやってね」
雪を掬い、固く握って小さな雪玉を作った。
「できた雪玉を雪の上で転がすと、周りに雪がついてどんどん大きくなってくんだよ」
手本を示すと、興味深げにふんふんと頷いて、早速雪玉を作って転がし始める。
「うぉッ!マジででっかくなってくッ!」
こぶし大だった雪玉があっという間にスイカ大になって、時任が駐車場の端から端まで転がすたびに大きくなっていく。
そして、雪が捲れて、その下の黒いアスファルトが剥き出しになる。
虚飾された現実の醜悪な内実。
大きくしようとすればするほど、雪だるまは汚れていく。
穢れを拒んでいたわけじゃない。
内包して隠し持っていただけだ。
短くなった吸殻を灰皿に捩じ込んで、新しい煙草に冷たくなった指先で火を付ける。
有害な煙を凍る空気と一緒に吸い込むと、冷たい外気のほうがニコチンよりも肺を刺激した。
身の内から凍えていく、そんな錯覚。
煙草を吸いながら雪とじゃれる時任を眺めていると、なんだか可笑しくなってきて、ふっと笑みが零れた。
凍えるワケない。
雪が音を食らって、静か。
雪の降る音も、夜の音すらしなかった。
時任の声しか聞こえない。
「さぼってねーで久保ちゃんも作れよ!」
ちっとも動かない俺に、駐車場の端で怒ったように時任は言った。
その口元から出る呼気が煙草のように白く、闇に漂っては消える。
頑張って転がした雪玉は持ち上げられない程の結構な大きさになっていた。
「俺は頭担当だから小さくていーの」
そう言い訳して、おざなりに雪玉を作って転がした。
素手で雪を触り続けるのは、痛い。
時任は良く平気だなぁなんて思いながら、雪だるまの頭部になる筈の雪玉を作った。
小さな雪玉は比較的直ぐに出来て、日陰になる場所を選んで時任が作った雪玉を据え、その上に俺が作った雪玉を置く。
「これが雪だるまかー。結構デカくできたなッ!」
時任の肩程の高さの雪だるまを見ながら感慨深げにうんうんと頷いて、時任は自分の仕事に満足しているようだった。
「でもなんか泥だらけだなー。折角作ったのに」
アスファルトの汚れで、真っ白い雪で出来ている筈の雪だるまは黒ずんでいた。
「こうやって雪をくっつけてけばさ、綺麗に見えるじゃない?」
傍の白い雪を掬って、表面に押し付けた。
また虚飾していく。
何度でも繰り返す。
二人でぺたぺたと雪を貼っていって、やがて雪だるまは見た目だけの白さを得た。
綺麗になった雪だるまを見て、それでも何故かまだ不満そうに時任は唸った。
それから何か思いついたのか、だっと走り出す。
そして植え込みで拾ってきたらしい細い枯れ枝を何本か握り締めて戻ってきた。
枯れ枝をぱきぱきと何本かに折ると、まっさらな雪だるまの顔の上に眼鏡のようなものを作る。
俺の煙草まで取り上げて雪だるまの口元に差し込んだ。
顔のなかった雪だるまが、眼鏡をかけて煙草を吸っている。
眼鏡の形が左右不揃いで、何となく間抜けな様だった。
「久保ちゃんダルマ~」
俺に向かってにっと笑った。
いたずらっ子のような笑顔。
そんな笑顔ばかり思い出すから、ずっと笑ってたのかもしれない。
それとも、好きだった笑顔を強く覚えているだけなのかも。
キラキラと綺麗なのは都合よく美化されているのかな。
そっと時任の左手を引き寄せる。
指先が赤く、雪と同じ温度になっていた。
悴んだ指先を唇に当てる。
「冷たい……手袋もしないで雪弄ってるから……」
息を吐いて暖めようとしたけれど、微かに体温を含んだ吐息も直ぐに空気の冷たさに掻き消されてしまった。
時任の指が、俺の指に絡む。
「久保ちゃんの手もそんな変わんねぇよ」
「俺も手袋してないしね」
ぎゅっと握り返して、そのまま二人でなんとなく雪だるまを眺め続けた。
何時の間にか空は雲に覆われたらしく、月光はもう届かない。
光源はマンションの明かりと、街灯だけ。
それだけでも十分に時任の横顔は見えたけど。
どこか遠くを見る表情。
何かを思い出そうとしてるの?
でも、雪だるまの作り方も知らなかったもんね、お前。
花火をした『誰か』と雪だるま作った思い出がなくて、
よかった。
「ね、時任。スノードームって知ってる?」
「知らねー。何それ」
「プラスチックで出来た小さなドームに水と建物と雪に模した粉みたいなのが入っててね。
振ると下に積もった白い粉が舞って、また静かに積もるんだよ。本物の雪みたいに」
どこで見たのかも定かじゃない。
安っぽい、ちっぽけな飾り物。
水の中で舞う雪がゆっくりとまた落ちていくその速度だけが妙に今も脳の中に残っている。
「へー。キレーなのか?」
「昔見た時は何も思わなかったけど……今みたら、綺麗って思うかも」
今、お前と見たら。きっと。
「ふーん」
キレーだぜきっと!
そう言って笑った顔が冷たく凍る空気よりもまだ俺を刺して、心臓がただ痛くて、気づいたら繋いだ腕を引っ張って抱き寄せていた。
そのまま雪の中に二人で倒れ込む。
「うわッ」
驚いた声を上げる時任を胸に押し付けて、腕の中に閉じ込めた。
仰向けになって見上げた空は暗く、冷たく、世界を覆って閉じ込めている。
この時、確かにこの空間だけは隔絶されていて、フィルムは途切れていて、俺達二人だけだった。
このまま永遠になってしまえばいい、そう願っていた。
叶うはずのない願いを。
どうせ溶け消えてしまうのに。
「……雪……」
時任が小さく呟いた。
暗い空から白い羽のような雪が音もなく舞い落ちてくる。
町を、現実を、白で塗り潰す為に。
雪が頬に触れた。
刺すような冷たさだけを残して、それは一瞬で溶け消える。
後から後から降り続ける雪はこのまま俺達の体も覆い隠してしまうかもしれない。
それもいいと思った。
「このまま……死んじゃえそーだねぇ」
「何だよそれ」
小さく不満そうな声を時任は上げた。
「凍死ってね、最初は寒いんだけど、段々意識が朦朧としてきて眠るように死ねるんだよ。痛みもなく」
これ以上痛みを負うことなく、終わりにできる。
二人の、まま。
ぎゅっと、時任が俺のワイシャツを握った。
右手が、心臓の辺りを掴む。
頬を押し付けるように摺り寄せて、
「死ぬわけねーだろ。こんなにあったけーのに」
体温を分け与えようとするかのように、ぴったりと寄り添う。
布越しに伝わる体温は鮮明で、焼け付くような熱は心臓から来ていた。
何度でも時任は俺に熱を与える。
冷たい雪も、ただこの温もりを再確認させるだけだった。
そっと瞼を閉じる。
「……そうだね……温かいね……」
掠れた声でそう返した。
温かいよ、お前がいたから。
お前がいたから、凍えなかった。
大の男二人が雪で遊んだ後も、朝には全て新しい雪に覆われて消えていた。
その数日後には日の光で全て跡形もなく溶け消えていた。
二人で作った雪だるまだけはしぶとく残っていたけど。
プラスチックに閉じ込めた
小さな世界の
ニセモノみたいに綺麗な
あの日の記憶