時任可愛い
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久保田はその日、その言葉を時任に伝えるのを躊躇っていた。
改まって言うのも気恥ずかしいし、今さらという想いもある。
誰もがソレを言葉にして事を起こすワケではない。
言わずとも良い気もするが、後々面倒なことになりそうだし、いきなりだと時任が驚きのあまり尻尾を毛羽立たせてしまうかもしれない。
何より久保田と時任の関係は、相方。
言葉にしないままなのは、不自然な気がした。

 

時任はその日、ある言葉を久保田に伝えようと懸命になっていた。
滅多に言える言葉ではない。
経験がないので分からないが、恐らくは皆、特別な思いでその言葉を伝えるのだろう。
なら、尚更伝えねばならない。
自分は特別な思いを久保田に抱いているのだから。
そして、だからこそ。
自分以外が久保田にソレを伝えるのは、許せないと思った。

 

「なんっで夏休みに校務があるんだよ……」
「俺に言われても……ねぇ」
愚痴さえも蕩けそうな気温と湿度のコラボレーション。
場所は愛する学舎。
季節は真夏。
ガランとした校舎に部活に勤しむ生徒達の掛け声だけが木霊している。
「夏休みにわざわざ学校でおイタする暇人達が居るとあっちゃねぇ」
「ほんっと理解不能だぜ。こちとら暑すぎて歩くのもめんどくせぇってのに」
「学校なんて後一週間もすれば嫌でも始まるのにね」
時任が隣の久保田を仰ぎ見る。
廊下に時折吹き込む、熱気を帯びた風が撫でる横顔は、言葉とは裏腹に涼しげだ。
「暑くねーのー。久保ちゃん」
「いや、この気温で暑くない奴なんていないと思うけど」
「素直に暑いって言え」
「暑い」
「嘘つけ」
「嘘じゃないよ。汗かいてるでしょ」
「それこそ嘘だろ……」
良く見て、と言われて久保田の首筋に顔をぐっと寄せる。
うっすら汗をかいてるような気のせいなような、いや首よりも前髪に覆われた額の方が汗をかいているのではないだろうか、
そのままの距離で視線を上にやる。
当然、目があった。
思っていたよりも近い距離で。
時任が顔を上げたのは久保田にとっても予想外だったのか、二人は同時に目を見開いて、そして同時に口を開きかけた。
「サボるなんて良い度胸してるじゃない」
背後から聞こえた声に、窓枠に凭れて校庭の方を向いていた二人は揃って振り返る。
其処には声の主、桂木が仁王立ちしていた。
「サボってねーよ、ちゃんと見張ってんだろ」
窓の外を指差す。
指の先には、屋外にある水泳部の部室前でこそこそする人影が三つ。
被害届が出されていた部室荒らしの実行犯だろう。
だが、この距離では人影の顔形までは把握できない。
「見張るだけじゃなくて、止めてきなさいって言ってるの!」
「へいへーい」
暑さで気が立っているのは、執行部の紅一点も同じ。
逆らわない方が良いと判断した二人は、素直に桂木の言葉に従う。
こっそりと、言えない言葉の代わりにため息を吐き出して。

 


「あー……ッちぃ……」
一仕事を終え、時任は熱い息を吐き出した。
足元には三人の男子生徒が仲良く気絶している。
部室荒らしの現行犯で制裁を受けた輩だ。
「夏になんか悪さすんなっての」
「まぁ、でもこーゆー悪さは夏ならではなんでないの?」
悪党の手から零れ落ちた機械を足先で転がして久保田が言う。
恐らく盗撮機。
荒磯に室内プールはないから、屋外プールが活躍するこの季節限定の悪事といえた。
「いわば風物詩?」
「ヤな風物詩」
眉間に皺を寄せた時任は、手で自身を扇ぐ。
「っつかこの部室、マジ暑くね」
「窓ないからねぇ。プールサイドに出たら涼しいかもよ」
そう言って、久保田の手がプールサイドに繋がるドアを静かに開いた。
部屋に流れ込んだのは熱風だ。
しかしその先の青は、確かに涼を孕んでいた。
冷たい水に満ちた場所。
真夏のプール。
釣られる様にしてプールサイドに出た時任は、途端に襲ってきた強い日差しに顔を顰め、日陰へと避難する。
久保田もその後にゆっくりと続いた。
座り込み、頬杖を付いてプールを眺めながら時任は、ぽつりと零す。
「泳ぎてーなー」
「水着あるの?」
「ないけど」
「じゃ、裸で?」
「ばーか」
軽口を叩きながら、せめて視覚からでも涼を得ようと水面に視線を落とす。
夏の凶悪な日差しを反射する水面はキラキラと、ギラギラと揺らめいて光る。
風に含まれる塩素のにおい。
「夏だな」
「そーね」
時任はプールから、すぐ傍に佇む久保田に目を移した。
久保田も時任を見る。
時任が少し笑った。
久保田も少し微笑む。
何時も通りのやり取りがくすぐったくって、嬉しくって、今なら言えそうな気がした。

誕生日、おめでとう。と。

しかし結局は、言えなかった。
「おらぁぁああぁぁあああ!!」
口を開く前に体が反応する。
殺気と怒声を迸らせモップを振り被った影は、久保田の足に蹴飛ばされ、容易くコンクリートの上に転がった。
「ぐふっ!」
もんどりうって苦悶する後ろから、更に二人の人影が現れる。
手にはそれぞれ棒のような得物を持って。
転がって気絶していた筈の部室荒らし達だった。
気絶していたと見せかけて、反撃のチャンスを伺っていたのか。
三人がかりで挑んで一蹴されたことを鑑みれば無駄だと分かりそうなものなのに。
そんなことで。
時任はゆらりと立ち上がった。
「ホントねーよ」
「ないやねぇ」
二人の声音に含まれるものに部室荒らし達は顔を青褪めさせて後悔したが、全ては遅かった。
そして始まった校務執行という名の暴力は、殆ど八つ当たりに近いものだった。

 

「……」
諸々の後始末を終え、部室へと戻ってきた時任は最早暑いという言葉すら出て来ないほどにダレきっていた。
机に上体を完全に委ね、バテた猫の様にぐにゃりと伸びている。
それほどまでにやる気を失って脱力している原因は勿論暑さだったが、拗ねのような感情も幾らか混じっていた。
どいつもこいつも。
久保田も。
自分も。
寝てしまいたいのに、寝ることすらもままならないこの室温。
目を閉じたまま感覚だけで久保田の気配を探る。
座って雑誌でも眺めているのだろうか。
さっき、出て行ったような音を聞いた気がしたけれど。
ああもう、蝉の音がうるさい。
「ほい」
「うわぁッ!」
突然頬を襲った冷たさに、思わず声を上げて飛び起きる。
そこにはアイスを二本持った久保田が立っていた。
時任の頬に触れたのは。
「ガリガリ君……」
久保田から受け取った時任は、早速その氷菓子に齧り付く。
咥内を冷やし喉を通る清涼感は格別だ。
「何時の間に買ってきたんだよ」
「ちょっとひとっ走りね」
恐らく、あまりにも暑さにダレた時任を見かねて、買ってきてくれたのだろう。
歩くのも億劫なこの炎天下の下。
時任はにっと笑って素直に礼を言った。
「さんきゅ」
「俺も食べたかったし」
そう言って笑った久保田の手には味噌田楽アイス。
時任の笑顔が引き攣る。
うーん。まろやか。
等と評しつつ、久保田は平然と茶色い物体を口に運んでいる。
……久保ちゃんが、暑さでおかしくなった。
しかし、久保田の嗜好のおかしさは元々だ。
呆れを諦めに変えて、ガリガリ君を頬張る。
アイスのお陰で幾らか暑さもマシに感じた。
溶けたアイスが滴りそうになって、ぺろりと舐める。
垂れないように、口を窄めてちゅぅっと余分な水分を吸うと、その様子を何故か久保田がじっと見ていた。
久保田のはカップアイスだから、垂れる心配なんてないのだろう。
相変わらず何事にもソツがない。
時任が抱いたのはそんな思いだったが、久保田が注目したのはアイスの形体ではなかった。
「時任……」
久保田が、何か言いたげに時任を呼んだ。
もしかして久保田の自己申告であろうか。
久保田から誕生日を教えて貰えなかったことに不満を抱いていた時任は、
自分が先に言うつもりだったことも忘れ、息を詰めて久保田の言葉を待った。
時任が久保田の誕生日を知ったのは、偶々だった。
一人でコンビニに行った帰り、偶然マンションの前で出会った葛西刑事が独り言のように、
「そういえば、もうすぐ誠人の誕生日だな」
そう言って、時任を見た。
「誕生日……久保ちゃんの!?いつ!!?」
時任は勢い込んで葛西刑事に詰め寄った。
その剣幕に少し驚いたのか眉を上げ、葛西刑事は答えた。
「24日だ。どーせ誠人は忘れてるだろうけどよ」
「…………」
明後日だ。
思いの外、近い日付が告げられて時任は黙り込む。
祝おうにも、明後日じゃプレゼントすら用意できそうにない。
そんな時任の胸の内を知ってか知らずか、
「俺が祝ってやるのも気恥ずかしいし、お前さんが祝ってやれ」
笑って、時任の頭を乱暴に撫でた。
久保田に用事があって来たと言っていたけど、もしかしたらこれを伝えるためにわざわざ訪ねてきたのかもしれない。
「それが一番、誠人も嬉しいだろうよ」
しかしもし本当にそうであるのならば、久保田が直接自分に教えてくれればよかったのだ。
そうしてくれたらこんなに躊躇わなかった。
もっと早く、素直に、祝えていた。
だから。
しかし、久保田の口がその先を時任に伝えることはなかった。
廊下が俄かに騒々しくなり、がらりと部室のドアが開かれる。
「あっっっちぃ~~!!」
「心頭滅却心頭滅却」
「大丈夫か松原。アイスでも食うか」
「あ、室田、俺にも俺にも~」
巡回を終え、ぞろぞろと部室に戻ってきた相浦、松原、室田。
室内に、アイスを手にする二人を見つけ、
「あーッ!自分たちだけずりーぞ!」
相浦が指差して非難する。
だが、反応はない。
二人とも、不自然なまでに動かない。
「……」
「……」
「……どうした?お前ら」
一瞬目を見合わせた久保田と時任は、そのままふいと視線を逸らした。
「いや……」
「なんでもねーよッ!」
黙々とアイスを食べ始める二人の様子は、平素とは明らかに違っていた。
良くは分からないが、何か二人の邪魔をしてしまったのではないだろうか。
相浦は一人、青くなった。
相浦も、松原も室田も桂木も、荒磯高校の生徒誰一人として久保田の誕生日が今日であることを知る者はいない。
時任以外。

 

その後の会話も何だか疎らで、結局お互い何も言えないまま、公務を終えて家へと帰ってきてしまった。
ソファに並んで座る。
テーブルの上には、時任が頑なに食べたいと主張したコンビニケーキが二つ。
チョコケーキとトマトケーキがそれぞれ一切れつつ。
トマトケーキは久保田チョイスだ。
相変わらずの嗜好にどん引きつつ、流石にケーキは露骨過ぎたかと久保田の横顔を伺うが、
取り立てて目に見えるような反応はない。
トマトケーキの味への関心は見受けられたが。
そこじゃねーよ!!
そう言いたいのをぐっと堪える。
時任が言いたいのもそんな台詞ではなかった。
そして久保田は、目に見える反応はしなかったものの、時任がケーキを食べたがったことにしっかり違和感を抱いていた。
違和感と言うなら、今日一日ずっとだ。
朝起きておはようと言った時も、二人の物理的な距離が近づいた時も、プールサイドで襲われた時も、今も。
気のせいではない。
時任は確かに、何か言いたそうだった。
「今日、お前、何か言いたそうじゃなかった?」
「久保ちゃんこそ……」
こういう時の二人は、言葉にしなくてもお互いが考えていることも、タイミングもはっきりと分かった。
せーの。

「キスしたい」
「誕生日おめでとう」

二人の口から同時に放たれた台詞は、お互いにとって想定外のものだった。
「え」
「はぁぁあああ!!?」
二者二様、驚愕を表す。
「何でお前が俺の誕生日知ってんの」
「何でキスなんだよッ!」
これまた同時に互いへの質問を投げかけてしまい、思わず黙り込む。
「……」
「……」
なんで?俺も忘れてたのに。
なんで?この流れで。
「だって、したいんだもん」
「葛西さんからこないだ聞いた」
互いの質問に答え、しかしその答えにどう応えていいのか分からず、結局二人はまた黙り込んだ。
「……」
「……」
妙な沈黙が、二人の部屋を満たす。
最初に口を開いたのは、久保田だった
「ありがと」
そう礼を言った久保田は、思いの外、喜んでいるように見えた。
「時任に祝ってもらえて嬉しい」
久保田が、眼鏡の奥の目を更に細めて笑う。
時任は嫌な予感がした。
獣の感はもれなく的中する。
「で、誕生日と言えばプレゼントだよね」
久保田が時任を抱き寄せた。
「キスしていい?」
耳元で響いた低音にぞくりと肌が粟立って、とっさに耳を押さえて久保田を睨みつける。
表情にはいつもの余裕が浮かんでいる。
何だか悔しい。
動揺しているのが自分ばかりで。
だって、キスなんて、そんな、誰とも、久保田とだってしたことがない。
そもそも久保田と自分の関係は相方。
確かに久保田は特別だけど、だからっていきなりそんな。
していいかと聞かれて素直に良いですよなんて言えるはずがない。
なのに、咄嗟の時には素直になる時任の口が応えた言葉は
「きょ、許可求めんなよ」
だった。
これには、久保田の方が苦笑をした。
「だって、俺達は相方じゃない」
相方とは普通キスをしない。
じゃあ、なんでしたいと思った?
……そんなの。
まだ何か言いたげな唇を指でなぞると、赤みがかった頬が益々赤く染まる。
耳まで真っ赤になった時任は、クーラーの効いた部屋の中、まるで湯だって逆上せているように見えた。
逆上せてしまえばいい。
この熱に。
久保田がゆっくりと顔を寄せる。
時任がぎゅっと目を瞑る。
肌よりも薄い皮を触れ合わせて、先ず感じたのは柔らかさだった。
その感触を追うように唇を押し付けて、擦り合せて、啄んで、夢中になる。
ちゅっと小さく音を立てると、時任の体がびくりと震える。
それが何だか可笑しくて、可愛くて、その先がなんだか勿体なくって、大人しく唇を離した。
腕の中、羞恥と緊張に時任の体はくってりと力を失っている。
まるで時任ごとプレゼントに貰ったような気分だ。
覚えてもいなかった誕生日だけど。
この誕生日プレゼントは最高ではなかろうか。
なんて、流石に現金かねぇ。
大人しく腕に抱かれている時任は、ふと思い出したかのようにこう呟いた。
「俺らさ、なんか大切なこと忘れてね?」
「……なんだろうね」

 

二人が「好きだ」という言葉を思い出すのは、飽きるまで唇を重ねた、その後で。

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久保誕御馳走様でしたっ!!(笑)

朝仕事前に読んでたら2人が言ったってとこで始めまーすと朝礼が始まり午前中お預けでした←

久保ちゃんの気持ちがわかったような気がします(笑)

蒼梓 2012/08/24(Fri)12:21:12 編集
無題
久保誕お粗末様でした(笑)

ちょ、なんという(笑)
いや久保たんは違うよ!
誰にも何も言われてないのに勝手に待てしてるだけだYO!!
じゅり 2012/08/24(Fri)23:45:08 編集
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