そして。
問題の当日。
久保田探偵一行と葛西さん率いる警察は、二十面相の予告状にあった国立宝飾美術館に来ていました。
時間は予告時間までまだ大分余裕のある、昼の十二時頃です。
国立宝飾美術館は、古来より伝わる日本の美術的価値の高い簪やら帯飾りやらの宝飾品から、マニアが収集した世界中の宝飾品など、宝飾品なら何でも集めた煌びやかな美術館です。
少々小作りとはいえ近代的で、美術館としては極々普通の外観です。
大きさ、形が全く同じ三階建ての西館と東館で構成されており、その二棟は二階にある連絡通路でのみ連結されています。。
上から見ると二つ並んだ長方形が細い一本の棒で繋がれたような形をしているのでした。
建物は背の高いメタセコイアの木でぐるりと囲まれています。
そして、メタセコイアの木の陰には黒い影が点々と隠れる様にして身を潜めています。
警察の方々です。
予告状が来てから油断なく警戒を続けている警官の方々。
葛西さんの顔にも滲み出る疲れが見えます。
毎回毎回怪盗に翻弄されているのは可哀想な警察の人達なのでした。
今日こそは憎き二十面相を捕まえんと、建物の周り、特に出入り口と庭、そして建物の内部には通路と展示品の前、それに屋根まで警官を配備する熱の入れようです。
警察がびっちり固める正面玄関をくぐると、恰幅の良い初老の男が愛想よく久保田探偵一同を迎えました。
でっぷりと肥えた腹が印象的です。
「いやー、お待ちしておりました」
ぺこぺこと探偵一行に頭を下げます。
その様子をじっと見ていた久保田探偵は、
「俺は久保田です。一応探偵」
とやる気のなさそうに自己紹介をしました。
しかし、その態度を気を損ねる事なく男は上品で人の良い笑顔を浮かべています。
「お噂はかねがね。私の娘もあなたのファンなんですよ」
「へぇ、それはどうも」
やはりやる気のない返答。
そんな探偵と強面の警察関係者を見渡して、男はふと探偵の傍らに目を止めます。
「こちらの……お嬢さんは?」
場にそぐわない小学生、セミロングの髪を揺らしふりふりスカートを穿いた女の子。
探偵の隣に立って、勝気そうな瞳で物珍しそうに辺りを見回しています。
「あ、ウチの事務所の桂木ちゃんって女の子です。裏の所長」
「誰が……ッ!」
怒鳴りかけて慌てて口を噤み、むすーと頬を膨らまします。
そう。探偵はいつも決して傍から離さない時任少年を事務所に置いて、代わりに久保田探偵事務所影の実力者、桂木ちゃんを助手として現場に連れてきていたのでした。
「現場に子供を連れてきても大丈夫なんですか?」
心配そうにそういう男。
敵は稀代の悪党二十面相。狙われているのは国宝。
子供を助手にするような探偵に一抹ではない不安を覚えるのは当然のことです。
「ご心配なく。ウチの事務所にいるのは皆子供だけど、俺より全然優秀なんで。事件解決の殆どは彼らのおかげですよ」
きっぱりと断言して、ね、と視線を下げて微笑みます。
「それはそれは」
探偵の自信満々な態度に不安が緩和されたのか、元の柔和な表情に戻って、今度は物珍しそうに探偵の助手を眺めています。
「それにしても可愛らしい格好をしてますね」
館長さんがしげしげと見つめる先には、猫耳帽子を目深に被りにゃんこバックを下げ羞恥と怒りにぷるぷる身を震わせている女の子が一人。
「でしょー。いや、今日は俺のにゃんこがいないから淋しくって。つい」
久保田探偵は悪びれずに笑い、下から殺気の籠ったすーごい目で睨まれています。
「いやー、私の娘も昔はこのくらい可愛かったですよ」
緊張感なく笑う男に、久保田探偵は先ほどからずっと抱いていた疑問を投げ掛けました。
「で、お宅は?」
「ああ、申し遅れました。私はここの館長をしている杜若というものです」
館長さんは慌ててそう挨拶して、久保田探偵に名刺を渡しました。
「ご丁寧にどーも」
探偵は受け取った名刺をそのままにゃんこ助手に渡します。
渡された名刺はにゃんこバックに収められました。
実はこのにゃんこバック、少年探偵団全員に支給されていて、中には高性能ペンライトや携帯布梯子といった探偵七つ道具と少年探偵団のマークが彫ってある虫眼鏡が収められています。
しかし、余りにも探偵の趣味に走ったデザインの為、室田等は中身を他の鞄に詰め替えちゃったりしています。
「じゃ、早速ですが『泣かない未明』を見せて貰えます?」
「勿論です。奥へどうぞ」
受けつけカウンターのある小ホールから、少し狭い廊下を通って館長さんは奥に皆を案内しました。
奥には百畳程のだだっ広い長方形の空間があり、壁の両側には展示品の数々を陳列したガラスケースが並んでいます。
白亜の大理石が床も壁も覆っており、一面真白です。
その清廉な柔らかい白乳色の空間に、ライトに照らされた宝飾品がガラスケースの奥から眩く輝いており、ちょっとした異空間のようでした。
「うわぁ……ッ!」
小さな探偵助手も思わず声を上げるくらいです。
「中々のものでしょう。この西館の一階には中世から江戸時代までの、日本の歴史ある宝飾品の数々を飾ってあります」
館長さんは自慢そうに説明しながら、そのまま入り口の傍の階段を上っていきます。
「ご覧のように当美術館は各階に大きな部屋が一つしかありません。東館も同じです。各部屋其々の陳列品は違って、西館一階は中世から江戸時代までの日本の宝飾品、二階はコレクターから借り受けた珍しい収集品達、三階は当美術館が掻き集めた世界中の宝飾品、東館も大体似たようなレイアウトで、一階が日本の近代から現代までのもの、二階、三階は西館と同じです」
壁と同じ白亜の階段を上りきって、一行は三階に出ます。
フロアの大きさも部屋の手前と奥に階段があるレイアウトも下の二つの階と同じでしたが、一階二階には全く窓がなかったのに対し、こちらには部屋の入り口近くにバルコニーのある大きな窓があり、更に奥の壁には薔薇窓風の豪華なステンドグラスが嵌っていました。
ステンドグラスの真下は一段高くなっていて、そこに一つのガラスケースが目立つように配置されています。
館長さんは久保田探偵達を奥のガラスケースへと案内しました。
「この美術館には目玉の宝が二つあります。一つはビロードとプラチナの台座にダイヤモンド、黒真珠、サファイアをふんだんにあしらった宝冠『泣かない未明』、そしてもう一つは金の鎖に大粒のドロップ型エメラルドが付いている『暁の緑涙』です」
館長がガラスケースを指差しました。
「コレがその『泣かない未明』です」
幾重にも張り巡らせた防犯の罠の中に鎮座するその宝冠は、中央にでんと据えられた三百三十カラットの巨大なスターサファイア、その周りを取り巻く星のようなダイアモンド達、プラチナの台座に、宝冠を縁取る上品な光沢の黒真珠、黒いビロード。全体的に暗く、重々しい雰囲気でしたが、それが荘厳で侵し難い高貴さを醸し出している、まさしく名工による名作でした。
「細工もさることながら、『アジアの星』と呼ばれているスターサファイアがもう貴重な一品でして。国宝というよりは世界の宝ですよ」
熱を込めて力説しています。
「歴史的価値の高い平螺鈿背八角鏡などを本来なら当館の目玉にするべきなんでしょう。ですが、これも中々の由緒がありましてな。
そもそも、これはイギリス王室秘蔵の、ブラックプリンス・ルビーが嵌ったかの有名な王冠に似せて造られているんですが、それはロシアが台頭し始めた時代、ロマノフ王朝が当時覇権を握っていたイギリス王朝に対抗して造らせたからなんですよ。
しかし、貴重さや価値さでいえばどちらの王冠にも甲乙付け難い。いや、ブラックプリンス・ルビーは結局バラス・ルビーなワケですから本物のスターサファイアがあしらわれたこちらの方が価値は高いかもしれないくらいです。
ロマノフ王朝が滅亡した際に流出し長い間行方知れずとなっていましたが、我が国のロマノフ収集家、故大川氏が血と執念の果てに見つけ出し、彼の死と共に当館へと寄贈されまして、本来ならスミソニアン博物館やトレチャコフ美術館所有になっていてもおかしくない希少な品がこうしてここにあることに数奇な運命と因縁を感じてしまいますよ。
『暁の緑涙』やその他の品も大川氏寄贈でして、どれも稀に見る名品ですが、私個人としては特にアレキサンドライト造りのインペリアルイースターエッグの細部の素晴らしさが……」
「流石に詳しいですねぇ」
ほっとくと何時までも喋り続けそうな館長さんを久保田さんが遮ります。
「仕事ですからね」
館長は照れたように頭を掻いて、はっとしたように建物の説明を再開しました。
「建物は防犯の面からご覧の通り窓がありません。が、室内は隅々まで照明の光が行き渡り死角はありません。外へ出る為の出入り口も西館東館それぞれに一つのみで、通常の順路は西館から入って一階二階三階と上りまた二階に下りた後、連絡通路を通って東館の二階三階と周って、一階に下り屋外に出る……と、少々複雑になっています。」
「窓がない……って言ってたけど、三階にはありますよね。バルコニーとステンドグラス」
久保田探偵が簡潔な質問を挟みます。
「ええ、ですが三階からの侵入は不可能です。美術館は三階しかありませんが、各階の天井が非常に高い為、普通の三階建ての建物よりも背の高い造りになっています。
外壁に取っ掛かりもない上、メタセコイアの木も建物から大分離れている為、外から侵入することは絶対に出来ません。屋根から入ろうにも鼠返しに阻まれ、例えバルコニーから屋根へ登ることは出来ても屋根からバルコニーへ降りることは出来ません」
「ふーん」
「ガラスケースのガラスも皆強化ガラス。鍵は私一人しか持っていません。更に今回の二十面相襲撃に備えて『泣かない未明』のケースの底には、不届き者が触れれば瞬時に大人が気絶するほど強力な電流が流れる仕掛けを投入しました。
やはり、これの解除も私にしか出来ません。鉄のガードを誇る建物とこれだけの警察官。おまけに久保田探偵までいらっしゃる。流石の二十面相も今度ばかりは尻尾を巻いて逃げ出すでしょうな」
実に自信たっぷりです。でんと突き出たお腹も自信を表すかのようにゆさゆさ揺れています。
しかし、肝心の探偵は、
「どーでしょうねぇ」
自信どころか興味もなさそうな相槌を打ち、しかし怜悧な双眸は何事かを深く思案しているかのように細められています。
「で、東館の方は?」
「東館の方は扉で封鎖しています。『暁の緑涙』はそっちにありましてね。お見せできないのが残念ですよ」
「それなら……今俺らにできることはないかな?」
探偵は傍らの小さな助手と目を見合わせ、その手を握ってから、
「予告時間まで大分ありますし、展示品見せてもらってもいいですか?できれば詳しい解説付きで」
と言いました。
「ええ、是非!」
館長さんは満面の笑みを浮べました。