時任可愛い
結局尽きて終わり。
sandglass
「つまんねー……飽きた!」
彼のこの台詞を耳にするのは何度目だろう。
「そんだけやればねぇ」
愛想のない活字の羅列から目線を足元に移すのと、時任がコントローラーを床に放り出すのとはほぼ同時だった。
壊れないといいけど、と、どこか他人事のように久保田はのほほんと思う。
そして、つまんない、飽きたを連呼する時任をどう宥めようかと考える。
ビデオ映画か、漫画か、外出か……
とにかく何か『楽しいもの』を提供しないと、彼の機嫌は悪化する一方だ。
問題点は明瞭で、何度もそれを指摘しているのに彼は自分のやり方を変えようとはしない。
面白いと思ったら我慢できず猪突猛進で、やり込んで、結果すぐに飽きる。
楽しいから楽しい。好きだから好き。
理論がない故に単純で正しい論理。
彼自身のような。
『楽しいもの』ねぇ……
『楽しいもの』という抽象的な概念を提示されて直ぐに思い浮かぶようなものは、久保田にはない。
あくまでも過去の経験から時任が楽しそうにしていたものを『楽しいもの』と判断しているに過ぎなかった。
それでも、時任が楽しそうだと、ああ楽しいなと思う。
別に、楽しいや嬉しいなどの感情を久保田が感じられない訳ではない。
これまでも楽しい、と感じたことがない訳ではなくて――でも、自信がないのだ。
本当に楽しいのか。これが正しい『楽しい』なのか。
だから、時任が同じ物を見て笑って「面白い」と言って楽しいと全身で表現しているのを見て、久保田も『楽しい』と思う。
これが『楽しい』んだと認識する。教えられる。
傍に居たいと思っているのはそれだけが理由ではなかったけれど。
自分の足元にどっかりと座っている彼の後頭部をじっと見つめる。
黒く艶やかな髪。床にどっかりと座り込んだ尊大な背中。
背後の久保田には無関心なように見えて、その実、気づかれないよう何度もちらちらと久保田の方を伺っている。
向けられるのは『楽しいもの』を提示される期待に満ちた眼差し。
そんな微笑ましい挙動にか、それともさり気無く自分が必要とされていることに対してか、久保田は微笑んだ。
微笑んで、新聞を畳むと脇に置く。
傍に居たいなと思う。
ずっとずっと。
そんな願いを抱く度、砂の落ちる音を感じる。
終わりを意識させる音。
久保田は提案した。
「ゲーセンにでも行く?」
「行くッ!」
待ってましたとばかりに時任は満面の笑顔を浮かべて答えた。
ああ、今度は。
生温い砂がさらさらと溜まっていく。
満たされる。
「早く行こうぜ」
ともすればすぐにでも飛び出していきそうな彼を、
「その前に片付けなさいって」
そう窘めながらも、口元に浮かぶ柔らかい笑みが消えることはなかった。
溜まって、落ちて。
落ちて落ちて、溜まって。
そして。
「まーだやるの?」
久保田は流石に呆れて小さく溜め息を吐いた。
時任はさっきから、コインを落として台の上の別のコイン達を落とすゲームにご執心で、
「後ちょっと……」
と言いながら投入されたコインは数知れない。
「いい加減止めときな」
「これが最後…」
「それ聞いたの五回目」
何を言ってもうわの空だ。
彼はどうしても、コインを大量に落としてジャラジャラさせる快感を味わいたいらしい。
確かに、あと一枚絶妙な位置に落とせば雪崩の様にコインが落ちてくる、際どい状況をそれは呈していたのだけれど、
しかしこの種はその状況で何時間も固まっているようなシロモノなのだ。元々。
現に時任が始めてから優に二時間立った今でも、情勢は最初と殆ど変わっていない。
第一、例え大量にコインが得られたとしてもコインで何かが交換できるワケではないから、結局、全部コインを使い切って
このゲームは終わりということになる。
他のゲームと同じく、なんら生産性はない。
よくやるよねぇ……
時任の享楽の為に散った夏目達を思って、久保田は再度溜め息をついた。
まぁ、時任が楽しいんならいいけどね
結局はそこに行き着く思考に、久保田は時任にとびきり甘い己を自覚しない訳にはいかず、今度は苦い笑いを浮かべる。
『楽しい』のかな、それ。
手持ち無沙汰に煙草を弄びながら、コインと時任の指先を見つめた。
最早二人の間に言葉はない。
ポト…ポト…
指先からコインが滑り落ちてゆく。
幾つかがパラパラパラと暗い穴に落ちて。
落ちて。
生きるということは、心に穴を空け続けていくことなんだと彼は認識している。
そこから砂のような何かがこぼれ落ちてゆくのだ。
砂は増えもするけれど、穴は塞がれることもなく永劫さらさらと砂を落とし続ける。
誰かを失って空いた穴だらけの心を抱えて、人は死ぬのだろう。
ある時期までの久保田は、穴も認識できず砂を増やすことも出来ず、だだ失い減らしてゆくのみで。
今は。……多分、容量一杯まで満たされている。
今まで、今も落ち続けている砂の量など問題にならないくらいに。
ああ。
でも。
今度失ったら穴なんかじゃ済まないことも、そして何時の日か必ず失ってしまうことも認識している。
底の抜けた心は己を殺すだろうか?
「くっそーッ!またコインなくなったーッ!もういい!帰ろぜ久保ちゃん!」
「そーだね」
吸いかけの煙草を足で揉み消して、久保田は微笑んだ。
生温い砂漠の中で。
sandglass
「つまんねー……飽きた!」
彼のこの台詞を耳にするのは何度目だろう。
「そんだけやればねぇ」
愛想のない活字の羅列から目線を足元に移すのと、時任がコントローラーを床に放り出すのとはほぼ同時だった。
壊れないといいけど、と、どこか他人事のように久保田はのほほんと思う。
そして、つまんない、飽きたを連呼する時任をどう宥めようかと考える。
ビデオ映画か、漫画か、外出か……
とにかく何か『楽しいもの』を提供しないと、彼の機嫌は悪化する一方だ。
問題点は明瞭で、何度もそれを指摘しているのに彼は自分のやり方を変えようとはしない。
面白いと思ったら我慢できず猪突猛進で、やり込んで、結果すぐに飽きる。
楽しいから楽しい。好きだから好き。
理論がない故に単純で正しい論理。
彼自身のような。
『楽しいもの』ねぇ……
『楽しいもの』という抽象的な概念を提示されて直ぐに思い浮かぶようなものは、久保田にはない。
あくまでも過去の経験から時任が楽しそうにしていたものを『楽しいもの』と判断しているに過ぎなかった。
それでも、時任が楽しそうだと、ああ楽しいなと思う。
別に、楽しいや嬉しいなどの感情を久保田が感じられない訳ではない。
これまでも楽しい、と感じたことがない訳ではなくて――でも、自信がないのだ。
本当に楽しいのか。これが正しい『楽しい』なのか。
だから、時任が同じ物を見て笑って「面白い」と言って楽しいと全身で表現しているのを見て、久保田も『楽しい』と思う。
これが『楽しい』んだと認識する。教えられる。
傍に居たいと思っているのはそれだけが理由ではなかったけれど。
自分の足元にどっかりと座っている彼の後頭部をじっと見つめる。
黒く艶やかな髪。床にどっかりと座り込んだ尊大な背中。
背後の久保田には無関心なように見えて、その実、気づかれないよう何度もちらちらと久保田の方を伺っている。
向けられるのは『楽しいもの』を提示される期待に満ちた眼差し。
そんな微笑ましい挙動にか、それともさり気無く自分が必要とされていることに対してか、久保田は微笑んだ。
微笑んで、新聞を畳むと脇に置く。
傍に居たいなと思う。
ずっとずっと。
そんな願いを抱く度、砂の落ちる音を感じる。
終わりを意識させる音。
久保田は提案した。
「ゲーセンにでも行く?」
「行くッ!」
待ってましたとばかりに時任は満面の笑顔を浮かべて答えた。
ああ、今度は。
生温い砂がさらさらと溜まっていく。
満たされる。
「早く行こうぜ」
ともすればすぐにでも飛び出していきそうな彼を、
「その前に片付けなさいって」
そう窘めながらも、口元に浮かぶ柔らかい笑みが消えることはなかった。
溜まって、落ちて。
落ちて落ちて、溜まって。
そして。
「まーだやるの?」
久保田は流石に呆れて小さく溜め息を吐いた。
時任はさっきから、コインを落として台の上の別のコイン達を落とすゲームにご執心で、
「後ちょっと……」
と言いながら投入されたコインは数知れない。
「いい加減止めときな」
「これが最後…」
「それ聞いたの五回目」
何を言ってもうわの空だ。
彼はどうしても、コインを大量に落としてジャラジャラさせる快感を味わいたいらしい。
確かに、あと一枚絶妙な位置に落とせば雪崩の様にコインが落ちてくる、際どい状況をそれは呈していたのだけれど、
しかしこの種はその状況で何時間も固まっているようなシロモノなのだ。元々。
現に時任が始めてから優に二時間立った今でも、情勢は最初と殆ど変わっていない。
第一、例え大量にコインが得られたとしてもコインで何かが交換できるワケではないから、結局、全部コインを使い切って
このゲームは終わりということになる。
他のゲームと同じく、なんら生産性はない。
よくやるよねぇ……
時任の享楽の為に散った夏目達を思って、久保田は再度溜め息をついた。
まぁ、時任が楽しいんならいいけどね
結局はそこに行き着く思考に、久保田は時任にとびきり甘い己を自覚しない訳にはいかず、今度は苦い笑いを浮かべる。
『楽しい』のかな、それ。
手持ち無沙汰に煙草を弄びながら、コインと時任の指先を見つめた。
最早二人の間に言葉はない。
ポト…ポト…
指先からコインが滑り落ちてゆく。
幾つかがパラパラパラと暗い穴に落ちて。
落ちて。
生きるということは、心に穴を空け続けていくことなんだと彼は認識している。
そこから砂のような何かがこぼれ落ちてゆくのだ。
砂は増えもするけれど、穴は塞がれることもなく永劫さらさらと砂を落とし続ける。
誰かを失って空いた穴だらけの心を抱えて、人は死ぬのだろう。
ある時期までの久保田は、穴も認識できず砂を増やすことも出来ず、だだ失い減らしてゆくのみで。
今は。……多分、容量一杯まで満たされている。
今まで、今も落ち続けている砂の量など問題にならないくらいに。
ああ。
でも。
今度失ったら穴なんかじゃ済まないことも、そして何時の日か必ず失ってしまうことも認識している。
底の抜けた心は己を殺すだろうか?
「くっそーッ!またコインなくなったーッ!もういい!帰ろぜ久保ちゃん!」
「そーだね」
吸いかけの煙草を足で揉み消して、久保田は微笑んだ。
生温い砂漠の中で。
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