「滝さん、何コレ」
久保ちゃんがバイトでいないからヒマして、俺は滝さんの家に遊びに来ていた。
フリーになった所為か、滝さんは訊ねると結構な確率で家に居る。
無遠慮に雑多な部屋を詮索していると、妙なモンを見付けた。
「何コレって、どー見ても眼鏡でしょー。トッキー毎日見てるじゃない」
滝さんはカタカタとパソコンのキーボードを叩きながら、コッチを振り返った。
「毎日見てるけどさ、滝さん眼鏡なんてしてねーじゃん」
「それは伊達。潜入の時とかに使う変装用」
「ふーん」
少し大き目のそれは、久保ちゃんのに似てる気もする。
かけてみると確かに視界がハッキリして度はなかった。
「お、似合うねぇ」
眼鏡姿の俺を、滝さんが笑う。
「俺サマは何でも似合うんだよ」
憎まれ口を叩きながら調子に乗って、
「他にも何かねぇの?」
と、言ってみる。
「そこのクローゼットに俺の背広があるから、それ着てみたら?」
言われた通りクローゼットを開けると、元勤め人らしく沢山の背広が並んでいた。
その内の一つを選んで早速着てみる。なんだかワクワクして楽しい。
勢い良くパーカーを脱ぐと何故か不自然に滝さんが目を逸らしたけど、構わずワイシャツとグレーの背広を羽織る。
袖を通すと、少し大きい。
「俺、カッコイイ?」
「カッコイイカッコイイ。新米リーマンでも十分通るね」
鏡で見てみると、確かに、そこに写った俺は新米リーマンだった。
野暮ったい眼鏡と着なれてない感じが、まさにそのものだ。
こんなの着る機会なんてなかったから、かなり新鮮な気分。
……この姿見たら、久保ちゃんはなんてゆーかな?
笑って、やっぱり「新米リーマンみたい」って言うんだろうか。
そう思ったら、何か久保ちゃんに見せたい気持ちが急にムクムク湧いてきた。
「滝さん!!明日返すからさ、コレ借りていいッ?」
「あー、それは別に構わないけど……」
滝さんは困ったような変な表情で曖昧に言葉を濁す。
「……大丈夫かな?」
「は?何が??」
「あーうん、まぁ、その、頑張れトッキー」
「はぁ???」
何を頑張るんだ、一体。
変なもんでも食ったのかな、滝さん。と、首を傾げながら俺は滝さん家を後にした。
このカッコで街中を歩くのはコスプレみたいで少し気恥ずかしい。
傍から見りゃ、ただのリーマンなんだろーけどな。
家に帰ると、バイトの終わった久保ちゃんが俺を待っていた。
「じゃーん!!」
ドアを開けた久保ちゃんの目の前で、体を反らし胸を張る。
久保ちゃんは吃驚したような、呆けたような目で俺を見て、
「眼鏡、結構似合うね」
それから改めて、
「どしたの?そのカッコ」
と聞いてきた。
俺は靴を脱いで久保ちゃんとリビングに向かいながらニッと笑う。
「滝さん家でさー、変装眼鏡みっけたから変装してみた」
「リーマンに?」
「そ」
ソファーにどさりと座ると、久保ちゃんは隣には座らず俺の目の前に立つ。
そして、ふーんとやる気なく相槌を打った。
「で、その服は誰の?」
「滝さんの」
「……へぇ」
「なー、カッコイイ?久保ちゃんに見せる為にわざわざ借りてきたんだぜ?」
「カッコイイけど……ねぇ」
久保ちゃんは身を屈めると、急に顔を近付けて、
「ムカツクかも」
ポツリと呟くと、荒々しいキスを仕掛けてきた。
いきなり獣に豹変したかのようだった。
「んンッ!!?」
とっさに体を押し戻そうとしたけれど、両手首をつかまれて逃げることが出来ない。
何で久保ちゃんが、こんな攻撃的なキスをするのかわかんなくて、足をバタバタと蹴り上げて抗議する。
それが効いたのか(しかしたっぷりねっとりと口内を弄い倒した上で)唇を離した久保ちゃんに、涙目でつっかかった。
「いきなり何すんだよッ!!借りた服が汚れんだろッ!」
俺は憮然としていたが、何故か俺より久保ちゃんのが全然不機嫌そうだ。
「汚れるのがヤなら、脱がせてあげる」
って、ホントに脱がそうとしてやがるし!
「そーゆー問題じゃねぇだろ!ヤメろ!さっきから何なんだよ一体ッ!!」
「あのさ」
一応手を止める久保ちゃん。
「お前が他の男の服を着てて、俺が嫉妬しないとでも?」
「……はぁ?」
「しかも、滝さんの目の前で着替えたんでしょ。襲われちゃったりしたらどーするの」
「滝さんが俺を襲うわけねーじゃん!!」
俺は笑い飛ばす。
「そーゆー問題じゃないんだってば」
まるでスネた子供だ。喉元のネクタイを弄るその手つきも、いじけているようにしか見えない。
……ホント、しょーもないヤツ。
まだ険阻な表情を崩さない久保ちゃんを笑った。
そして、まだ気の済まないこいつに、素直に押し倒されてやる。
「……バーカ」
「馬鹿で結構」
俺が久保ちゃんの眼鏡を外して、久保ちゃんが俺の眼鏡を外して、眼鏡の外しっこ。
「あんま、俺以外に懐かないでね」
「へーへー」
滝さん、こーなることを分かってたんだろーな。
別れ際の、意味深な『頑張れよ』を想い出す。
「……眼鏡、可愛いんだけどね」
ポイッと眼鏡を投げ捨てた久保ちゃんはそう言って。
先程とは比べ物にならない、優しく甘い口付けを、俺と交わした。