時任可愛い
「あなたの子供」
久保田と出会う前、少しだけ付き合っていた彼女に呼び出された。
その彼女が赤ん坊を抱いている姿を見た時から嫌な予感はしていたが、あまりにも突然で、時任は言葉を失った。
「なん、で」
赤ん坊を見る。
温かな腕の中で、すやすやと眠る子供。
自分と血が繋がっているという、子供。
「なんで、今まで言わなかっんだよ」
突然告白されたことが解せなかった。
せめて生まれた直後、いや、胎内に宿ったことが分かってすぐに、自分に告げるべきではなかったのか。
自分が父親だというのならば。
彼女は俯いたまま、時任の顔を見もせず、
「別れた時は、デキてたって知らなかったの」
分かった時は、別の人の子供として育てたかった。
ぽつりとそう言った彼女に、今、その別の人とやらはいないのだろう。
支えてくれる人は、誰も。
きっと、赤ん坊は口実で、時任に支えを求めているだけなのだった。
それが分かっていても、時任には久保田がいる。
応じてやることは、できない。
なら。
時任は彼女の腕から赤ん坊を抱き上げた。
ぎこちない仕草で、そっと、腕に抱く。
赤ん坊は柔らかく、ミルクの甘い匂いがし、ずっしりと重かった。
「分かった。俺が育てる」
彼女は顔を上げた。
安堵と、罪悪感と、絶望で引き裂かれそうになった痛々しい表情。
苦しんで、苦しんで、苦しくて耐えられなくなって、時任に助けを求めたのだろう。
「ホントは、父親は……」
思わず本音がこぼれでた。
時任と付き合っていたのは本当に短い期間だった。
他に何人も怪しい男はいた。
それでも時任の元へ来たのは、赤ん坊の顔が時任に似ていたから、それだけが理由ではない。
「お前の子なんだろ?」それだけで充分だと言外に告げ、赤ん坊を抱いたまま背を向ける。
「じゃーな」
時任は振り返らない。
彼女のことを救えないことが分かっていたから。
背後で泣き崩れる声がする。
ぎゅっと唇を噛んで、赤ん坊を抱く腕に少しだけ力を込めた。
「俺の子なんだ」
部屋で出迎えた久保田に、時任は開口一番そう言った。
敢えてきっぱりと、己の子であると断言する。
それは時任の言い訳を潔しとしない人間性によるものではなく、ただ単純に、今日初めて顔を見たこの赤ん坊が己の子供であると、時任が確信していたからに他ならなかった。
同情心でもなく。
犠牲心でもなく。
自業自得によるただの責任感だ。
表情の動かない久保田を、時任は緊張の面持ちで見上げる。
時任と久保田は、出会って決して長いワケではない。
こんな面倒事を抱え込むくらいなら別れる、そういう選択肢を久保田が取ることも時任は覚悟していた。
自分もまた、唯一無二の支えを失うのだろうか。
しかし久保田は存外あっさりと、
「じゃあ、二人で育てよっか」
問い詰めるでもなく詰るでもなく、受け入れた。
時任は目を見開く。
「……久保ちゃん……いいのか?」
やや呆けてそう問えば、
「お前の子供なんでしょ?」
飛び切り甘い笑顔で答えられる。
「なら俺の子供だ」
「……久保ちゃん」
赤ん坊を腕に抱いたまま、時任は全身で久保田に寄り掛かった。
受け入れられる幸福と、受け入れられなかった罪悪感で、上手く呼吸ができない。
久保田も黙ったまま時任を抱きしめる。
二人の間に挟まれた赤ん坊が、やがて大きな泣き声を上げ始めた。
おれの親はふたりとも男だ。
なぜなのかは分からないけど、おれにはふたりしかいなくて、そのふたりは男で、まぎれもなくおれの親だった。
ひとりは時任という。
いつもいっしょにいて、いつもいっしょに遊んでくれている。
こどもっぽくて、親というよりは友だちみたいな感じ。
もうひとりは久保田といって、おれはパパとよんでいる。
昔からパパはパパだけど、どうもパパがそう呼ぶようにおれをしこんだらしい。
時任のこともママって呼びなさいって言われたけど、時任がおこったから(パパを)時任は時任だ。
でも、父親というのなら、パパではなくて時任の方だ。
おれは時任のかおにそっくりだと、いつも言われる。
だから、やっぱり、時任はまぎれもなくおれの親だった。
むけられるしせんにもやさしさにも、あいじょうがぶあつくコーティングされている。
そして、パパも、やっぱり、おれの親だった。
なんのかんけいもないハズのおれを、時任と同じくらいせわをしてめんどうをみてくれた。
生活ひをかせいでくれたのは、ほとんどパパだ。
パパのしせんにもやさしさにも同じくらいのあいじょうが。
……あるのはまちがいなかったし、うたがいようがないけれど。
たまに、ごくたまに、なにかちがうものをかんじることがあった。
おれをみる、パパの目に。
あいじょうと、ほかのなにかが。
入り交じった、ふくざつな目で、いごこちがわるくなるくらいじっとみて。
息をはきだす。
それからいつもどおりのやさしいだけの目になって、おれのなまえをよぶ。
だから、たまに、ごくたまに不安になるのだった。
あいされてるのに、あいされてることをうたがってはいけないハズなのに、こう聞いてしまいたくなる。
「パパ、おれのことあいしてる?」
ある日、おれはたえきれなくなって、ついにこうきいてしまった。
ひざの上におれをのせたパパは、いつもどおりのやさしいかおとめで、いっしゅんの間もおかずに、
「愛してるよ」
といった。
そしてつぎのことばも、なんの間もおかずに、さらりと、まるで当たり前のことのように口にした。
「殺したいくらい」
久保田と出会う前、少しだけ付き合っていた彼女に呼び出された。
その彼女が赤ん坊を抱いている姿を見た時から嫌な予感はしていたが、あまりにも突然で、時任は言葉を失った。
「なん、で」
赤ん坊を見る。
温かな腕の中で、すやすやと眠る子供。
自分と血が繋がっているという、子供。
「なんで、今まで言わなかっんだよ」
突然告白されたことが解せなかった。
せめて生まれた直後、いや、胎内に宿ったことが分かってすぐに、自分に告げるべきではなかったのか。
自分が父親だというのならば。
彼女は俯いたまま、時任の顔を見もせず、
「別れた時は、デキてたって知らなかったの」
分かった時は、別の人の子供として育てたかった。
ぽつりとそう言った彼女に、今、その別の人とやらはいないのだろう。
支えてくれる人は、誰も。
きっと、赤ん坊は口実で、時任に支えを求めているだけなのだった。
それが分かっていても、時任には久保田がいる。
応じてやることは、できない。
なら。
時任は彼女の腕から赤ん坊を抱き上げた。
ぎこちない仕草で、そっと、腕に抱く。
赤ん坊は柔らかく、ミルクの甘い匂いがし、ずっしりと重かった。
「分かった。俺が育てる」
彼女は顔を上げた。
安堵と、罪悪感と、絶望で引き裂かれそうになった痛々しい表情。
苦しんで、苦しんで、苦しくて耐えられなくなって、時任に助けを求めたのだろう。
「ホントは、父親は……」
思わず本音がこぼれでた。
時任と付き合っていたのは本当に短い期間だった。
他に何人も怪しい男はいた。
それでも時任の元へ来たのは、赤ん坊の顔が時任に似ていたから、それだけが理由ではない。
「お前の子なんだろ?」それだけで充分だと言外に告げ、赤ん坊を抱いたまま背を向ける。
「じゃーな」
時任は振り返らない。
彼女のことを救えないことが分かっていたから。
背後で泣き崩れる声がする。
ぎゅっと唇を噛んで、赤ん坊を抱く腕に少しだけ力を込めた。
「俺の子なんだ」
部屋で出迎えた久保田に、時任は開口一番そう言った。
敢えてきっぱりと、己の子であると断言する。
それは時任の言い訳を潔しとしない人間性によるものではなく、ただ単純に、今日初めて顔を見たこの赤ん坊が己の子供であると、時任が確信していたからに他ならなかった。
同情心でもなく。
犠牲心でもなく。
自業自得によるただの責任感だ。
表情の動かない久保田を、時任は緊張の面持ちで見上げる。
時任と久保田は、出会って決して長いワケではない。
こんな面倒事を抱え込むくらいなら別れる、そういう選択肢を久保田が取ることも時任は覚悟していた。
自分もまた、唯一無二の支えを失うのだろうか。
しかし久保田は存外あっさりと、
「じゃあ、二人で育てよっか」
問い詰めるでもなく詰るでもなく、受け入れた。
時任は目を見開く。
「……久保ちゃん……いいのか?」
やや呆けてそう問えば、
「お前の子供なんでしょ?」
飛び切り甘い笑顔で答えられる。
「なら俺の子供だ」
「……久保ちゃん」
赤ん坊を腕に抱いたまま、時任は全身で久保田に寄り掛かった。
受け入れられる幸福と、受け入れられなかった罪悪感で、上手く呼吸ができない。
久保田も黙ったまま時任を抱きしめる。
二人の間に挟まれた赤ん坊が、やがて大きな泣き声を上げ始めた。
おれの親はふたりとも男だ。
なぜなのかは分からないけど、おれにはふたりしかいなくて、そのふたりは男で、まぎれもなくおれの親だった。
ひとりは時任という。
いつもいっしょにいて、いつもいっしょに遊んでくれている。
こどもっぽくて、親というよりは友だちみたいな感じ。
もうひとりは久保田といって、おれはパパとよんでいる。
昔からパパはパパだけど、どうもパパがそう呼ぶようにおれをしこんだらしい。
時任のこともママって呼びなさいって言われたけど、時任がおこったから(パパを)時任は時任だ。
でも、父親というのなら、パパではなくて時任の方だ。
おれは時任のかおにそっくりだと、いつも言われる。
だから、やっぱり、時任はまぎれもなくおれの親だった。
むけられるしせんにもやさしさにも、あいじょうがぶあつくコーティングされている。
そして、パパも、やっぱり、おれの親だった。
なんのかんけいもないハズのおれを、時任と同じくらいせわをしてめんどうをみてくれた。
生活ひをかせいでくれたのは、ほとんどパパだ。
パパのしせんにもやさしさにも同じくらいのあいじょうが。
……あるのはまちがいなかったし、うたがいようがないけれど。
たまに、ごくたまに、なにかちがうものをかんじることがあった。
おれをみる、パパの目に。
あいじょうと、ほかのなにかが。
入り交じった、ふくざつな目で、いごこちがわるくなるくらいじっとみて。
息をはきだす。
それからいつもどおりのやさしいだけの目になって、おれのなまえをよぶ。
だから、たまに、ごくたまに不安になるのだった。
あいされてるのに、あいされてることをうたがってはいけないハズなのに、こう聞いてしまいたくなる。
「パパ、おれのことあいしてる?」
ある日、おれはたえきれなくなって、ついにこうきいてしまった。
ひざの上におれをのせたパパは、いつもどおりのやさしいかおとめで、いっしゅんの間もおかずに、
「愛してるよ」
といった。
そしてつぎのことばも、なんの間もおかずに、さらりと、まるで当たり前のことのように口にした。
「殺したいくらい」
この記事にコメントする