時任可愛い
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拍手コメントで、時任は久保ちゃんの神様いることに負担を感じていないのではないかというコメントを頂戴しましたのでその辺の私の思うところをもう少し詳細に記載させて頂きたいと思います!
あくまで私の思うところかつ思ったことをずらずら書いてるだけのまとまりのない与太話になってしまうかもですがご容赦ください。
まず、時任は久保ちゃんの神様いることに負担を感じていないのではないか、という部分に関しては私もそうだと思います。理由は後述します。
そして、神様にされてる時任がしんどくて痛々しいというのは私が見ててしんどくて痛々しいということです。理由は後述します。
で、久保ちゃんの神って何か良く分からないで終わらせていましたが久保田にとっての神とは?をもう少しちゃんと定義したいと思います。
「久保ちゃんの神様」を考えようとするには原作その他メディアだけだと情報が足りないので先ずそもそも作者である「峰倉先生の神様観」に遡ります。
三巻ドラマCD発売当時の峰倉先生の神様観がブックレットに記載されていると教えて頂いたので参照しましたが「なんだろう、神様」「光」「闇」「希望」「絶望」「見えない」「欲しい」「あるはずのない」「こたえのないもの」「かたちのないもの」と、あまり具体的には定義されていません。
「具体的な定義がない」という前提で更に「神様」という言葉をwikiりましたが実際に見てください。カオス極まりない。すげー既視感感じるけど「愛」の言葉wikiった時もこんな感じだった。
一階層下の「日本人の神様」の定義を探しても良いのですが、視点を変えて「定義」ではなく「機能」に着目したいと思います。
神様の機能。
この辺はちゃんと調べたわけではなくあくまで私の思う一般的、ですが、日本人が漠然と思う(特定宗教に依らない一般的な概念の)「神様」への行為って「祈る」「願う」「畏れる」「許しを請う」「奉げる」辺りかなーと思うんですよね。ほぼほぼ祈るに集約されそうだけど。神様は祈りの対象である。何故祈るのか?祈りを叶えて欲しいからですよね。「祈り、願いを叶える」「許しを与える」が神様の機能であると仮に定義します。
で、ですよ。あくまで「私の」ですが、私の久保時の神様観って三巻よりバックギャモンのSeven Heaven準拠なんですよね。
バックギャモンのこのページの設定と結構変わってるので正直二次資料くらいの考えの方がいいのかなぁというのが若干悩ましいところではありますが。
この詩には、
「お前の全てを許す 俺がお前の神様になる」
と、諸に書いてあります。
私が「時任は久保ちゃんの神様でいることに負担を感じていない」と思う論拠がコレです。
自覚的に神様になっている、もしくは本編の時任は「神様」でまでは思っていなくても久保田にとって「神様の機能」である「祈り、願いを叶える」「許しを与える」存在たろうと思っているのではないかと。
そう考えると四巻で久保田に怒ってた筈の時任が迎えに来た段階で久保田を責めなかったのも、六巻で自分を救う為に大勢の命が失われたこと、久保田が奪ったことに対して思うところがありそうだった時任が結局責めなかったのも、時任が久保田を許す存在でいようと自覚的、または無自覚的に思っている故ではないかな、と。
しかし時任は無条件で久保田の神様をやっている訳ではない。
着目したいのが、Seven Heavenの最後一節。
「勝手に死んだら殺すから」
言い換えると「死ぬのは許さない」ってことですよね。
時任の「全てを許す」の中に「久保田が死ぬこと」は含まれていない訳です。
もっと言うと、
時任は「久保田が生きるために神になり」「久保田が生きる為に必要な行為は全て許す」
というのが現段階の私の「久保ちゃんの神様」の定義ですね。
この辺の考えがより強まったのが「WILDADAPTER OVA 禅 オリジナルショートドラマ」の「Lucid Dream」を聞いてからですね。
生きてるのか死んでるのか現実なのか白昼夢なのか良く分からない久保田に対して言った言葉が「俺が存在する限りここがお前の現実だ」
そして、「少なくとも俺が死ぬまで現実世界をちゃんと生きろ。一機も減らすな」
生きる自覚薄くてふわっふわの久保田がうっかり死なないように、現実感じさせてやると。だから死ぬなと。
結局、時任の根底にあるのは久保田に死んで欲しくないっていう「祈り」なんだろうなぁと私は思っている訳です。
で、ここからは私の推論が更に強めなんですけど、
じゃあ神様である時任に久保田が祈ってることは何??っていう。
出会い頭のモノローグである「今度こそ先に死ぬのは俺だろうかと考える」
つまり、「時任より先に死にたい」ではないかと。
だから久保時の宗教破綻してるんですよそうなると。
久保ちゃんに生きて欲しいから久保ちゃんの神様やってるのに、神様として望まれている祈りが先に死ぬことっていう。
で、結局、神様やってる時任が祈りを聞かざるを得ない最後になるんじゃないかって危惧しているからそんな時任がしんどくて痛々しい訳です。
時任の「全て許す」に久保田が死ぬことが含まれていないことを知っている上でそれも許してと言いそうな久保田のズルさを感じてもいるし。
そもそも三巻のオチというか滝さんの結論が「神様だと思っていた妹は神様でいたくなかった。普通の人間でいたかった」ということはアダプタ世界観において「普通の人」は「神様でいたくないものだ」というある種の定義付けがされたとも考えられ、その上で時任が神様やってることもしんどさの二乗っていう。
時任強がりだけど久保ちゃんが死んで独りになることについて虚勢張ったことは一度もないのにね。
せめて時任が強がれるくらい長生きして幸せになって虚勢張るのを見届けてから死んでよって。それは私の願い。だから久保田にはせめて生きる努力を見せて欲しい。
久保ちゃんは屑星1億回聞いて反省して!!!!!!!!!
別に久保ちゃん先に死ぬ気ないなら私が100億回でも反省しますけど、どうしてもそう思えないんだよなぁ。

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